Act.1 一番「熱い」海とのんきなやつら


 青い空。青い青い海。ぽっかりと浮いた白い雲。輝く太陽。
 ――……暑いんだって。7月だし。
 オレが今居るのは広い帆船の甲板。に、1人でモップがけしている。七月の太陽は真上にあって、首筋を焼く音がジリジリと聞こえそうだ。
 オレの名前はリセル。年は多分14歳。正確な年は、実はわからない。何故かって言うと、身も蓋もなく言って記憶喪失だからだ。
 4年前の嵐の晩、板につかまって荒波にもまれていたオレを釣り上げたのがこの船の船長だった。なんで嵐の日に釣りなんかしてたのかは知らないけど、まあ、そーゆー人だ。結局この4年間記憶は戻らず、そのままこの船で働いている。船長は……ちょっと変わった人だけど(多分)基本的に悪い人ではないし、他の仲間も親切だ。1番年下だからって色々使いっぱしりにされるのはムカつくけど。
 本当の名前とか、家族とか、そういうものが気にならないわけじゃない。でもこのままでもいいやって、思ってる。

「おーい、リセル。ヒック…モップがけ終わったか?そろそろ昼飯の時間だぞ…ック」

「…うぃーっす」

 昼間っから酒飲んでんじゃねーよ。しかも、こぼれた。

「お頭が酒注げってうるさいぞ。早くこいよ」

 …またかよ。きっと騒ぎまくるんだろうなぁ。
 思わず溜息が漏れる。


 問題があるとすれば、ただ1つ。
 この船が立派な額の賞金のかかった、海賊船だってことだ。
 …それって、致命的なんだよな。あーあ…。


 1人では終わるわけのないモップがけを途中でやめて、俺が食堂に行ったときには、仲間の半数が出来上がっていた。
 船長はと言うと……。

「うぉーい、リセル。お前遅かったな」

 1番奥のテーブルにどかっと座って、周りにはビールの空ジョッキとか、高そうなワインの空き瓶とかがゴロゴロ転がっている。水もアルコールも同じペースで飲むから、結果的に飲む量がハンパじゃない。
 もったいないから、もうちょっと加減して飲めってーの。
 にしても、あの身体のどこに入ってるんだろ……。

「なんか、すっごい機嫌良いですね」

「まあこっち来いよ。お前も飲むか?」

「飲みませんよ」

 しょうがないから船長の隣に座る。無視すると後が怖いし、隣に座っているだけなら無害だし。…多分。

「これ、見てみろよ」

「なんですか?」

 船長が取り出したのは新聞だった。日付を見ると昨日のものみたいだ。昨日寄った町で買ったんだろうけど、昨日は1日中酒場にいたし、ついさっきまで寝てたから今になって読んだんだと思う。
 で、何が書いてあるんだろ…。

「…御年18、セシリア殿下、王都に御帰還…???」

「そう、あのちょー美女、〈ウィンブリアの真珠姫〉がついに修道院から出てくんだよ!」

「しんじゅひめ…?」

 真珠姫って何だっけ?聞いたことがあった気もするけど、無い気もするし…。

「お前知らねーの?!つーか、記憶無くしてもそんくらい覚えとけよ、常識だろ!」

「無茶言わないで下さいよ」

 本当に思い出せない。あんまり興味ないし。だから世間知らずだって言われるんだろうけど。別にそんなこと知らないでも、生きていくのに困らなさそうだし。

「つややかな黒髪、白い肌にバラ色の頬、まさに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花…」

 あ、自分の世界に入っちゃったよ。…にしても、なんでこーゆー言葉がポンポン出てくるんだろ、この人。ある種の才能だよ。こんな才能、欲しくないけど。

「何て言っても〈今年度あなたが選ぶ結婚したい女性〉ナンバーワンだぞ!!」

 ずげげげげ…。

「なんですかそりゃ!!」

 仮にも相手は一国の王女様なんだし、なんてーか、もうちょっと威厳とか気品とかあってもいいんじゃないか?自分で付けるわけじゃないから仕方が無いけど、〈今年度あなたが選ぶ〜〉なんて、いかにも安っぽい…。

「ほれ、ここに書いてある」

 そう言ってどこからか取り出す1冊の本。ずっしりと厚くてかなりしっかりした装丁の本だ。
 …つーか、どこから出した?

「あ、本当に書いてある…」

 しかも写真付き。いーんだろうか、こんなことして。最近は肖像権とかうるさいから、どっかから訴えられても文句は言えないぞ。
 ん、げげっ…!!
 返そうと閉じた本の表紙に、その言葉は書いてあった。
 …………「××年度 古今東西全美女(美少女含む)名鑑決定版」
 …………。

「…なんですか、この本」

「俺様の愛読書だ」

 確かに、船長の部屋の本棚にはこれと同じ装丁の本がたくさん並んでたっけ…。
 …いいのか、この人。
 オレは誰にでもなく問い掛ける。
 …やっぱダメかもしんない。


 確信したのはそれから3日後だった。


「ねえ、大変なの!パパがどこに居るか知らない?!」

 その日の朝はメリアの甲高い声で始まった。

「ちょっとリセル、パパがどこに居るか知らない?」

「知らねー…。朝飯でも食ってんじゃねーの?」

「だって大変なのよ?!」

 何がだよ、と心の中でつっこむ。
 メリアは副船長のガースさんの1人娘だ。うわさ好きでおまけに話を大げさに言うから、言ってることはかなりあてにならない。この前なんて「かもめがラインダンスした」だった。んなわけねーじゃん。

「とにかく、一緒に食堂に来てよ!」

「イテッ、離せよ…!」

 メリアに腕をつかまれて結局オレは食堂まで連れて行かれた。
 ったく…馬鹿力なんだよ!
 ちょうど朝食の時間だったので、ガースさんの他にもほとんどの仲間が集まっている。みんな楽しそうに、もとい騒がしく食事をしている。

「パパッ、大変なの!!」

 自分の父親を見つけたメリアはオレの手を振り払って駆け寄っていく。そんなメリアを、ガースさんは両手を広げてやさしく迎えた。
 右目に眼帯をしたこの船で一番海賊らしいガースさんも、メリアといる時だけは親バカっぽい。なんか意外だけどアジトには美人の奥さんもいるし。

「お、どうしたメリア?」

「あのね、大変なの!!」

 周りから「今日は何だー?」と声がかかるがメリアはそれを無視して言葉を続けた。

「船長がいなくなったわ!!」

 …………。
 …………。
 …………。

「「なんだってー!!」」

 そこに居た全員の声が見事にハモる。
 そりゃそーだ。普通船長は無断でいなくなったりしないよな。「普通」なら…。
 色々な意味で、ウチの船長は規格外だから。
 こっそり溜息をついているガースさんを、オレは見逃さなかった。
 やっぱ、苦労してるんですね。
 なんだかオレも溜息をつきたくなってしまった朝だった。