五月晴
〜ゴガツノハレ〜
止んだと思っていた雨が再び
■Side K
「謎の転校生の真の姿を知るものは居ない…。ある春の日に転校してきた彼女。ごく普通の少女であるのに、何かが違う。毎日同じ時間に神社の方向に消えていく。おかしいと思って尾行してみたけれど、神社に入っていったはずの彼女の影は無い。引っ越してくる前の住所を探してみたら、何年も前に高速道路になっていた。彼女が座っていたところはいつも濡れていて、水草が一本落ちている。以前いたはずの学校に問い合わせてみたら、そんな生徒は存在していなかった…」
「だぁーっ、うざい! 耳元でそんな陳腐な怪談話するな!」
久しぶりに晴れたので屋上で昼寝をしていたオレは、起き上がって一発宮野の頭を殴る。
「いったー…、だってさー、タイムリーなネタだと思わない?」
お前は…、それを例の新聞もどきに載せるのか? まだ梅雨だぞ。怪談やるにはまだ早いだろうが。頭を抱えたくなるが、それではオレの負けだ。
にしても、こいつの新聞、なんで学校側に指導されねーんだ?あきらかに有害だろうに。
「他人を幽霊に仕立て上げた話の、どこがタイムリーなネタなんだよ」
「新聞記事になれば、一躍有名人で人気者だよ? 青木さん、まだ友達少ないみたいだしさ」
オレらが言える立場かっつーの。まあ、宮野の場合、友達は少なくても情報提供者とか利害関係者はたくさんいるみたいだが。
「でさー、ちょっと気になったんで、彼女のこと調べてみたわけよ」
「プライバシーの侵害だ」
法に触れるようなことはしてないから大丈夫、と言う。本当か?
「今、父方のおじいさんの家にいるんだって。お母さんは…ずいぶん前に亡くなってるらしい。お父さんは蒸発中…、大変だね」
「…不幸比べでもさせたいのか…?」
そんなもの、比べる価値も意味もない。本人じゃなきゃそんなのわからない。
「勝手に踏み込んでいい領域じゃないだろ」
オレも、お前も。
傷のなめ合いでもしろって言うのか?
「まあね。でも、あんたより偉いんじゃないの、青木さんの方が何倍も」
お前に、言われたくない。
「今年も運動会、サボるの?いいかげんにしなよ、お母さんから逃げるの」
「黙れよ!!」
聞きたくない、あの女の話なんか。
忘れたい、何もかも。
それも出来ず、オレは逃げ出すだけだ。
「あんた、ただのわがまま娘だよ」
どこかで聞いた言葉をオレに残して、宮野は去っていった。
「……その言葉は、もう聞き飽きたよ……」
わかってる、宮野の言うことは正しいって。逃げるだけじゃ何も解決しないって。
「どーせオレはわがままだよ…」
逃げる方が楽だから、それでいい。
でも。
あいつは、逃げないんだろうなぁ…。
そんな気がする。
「暑いなぁ…」
目を閉じると、まぶたの裏には太陽があった。
■Side A
やっと晴れたと思ったら、やっぱり次の日は雨で、梅雨ってのは所詮こんなもんだと思った。ケイちゃんは最近あまり学校に来ない。雨だからかな? 梅雨はあまり好きじゃないけど、ケイちゃんが来ないとさらにつまらない。雨のせいで屋上でお弁当も食べられないし。
「あー、なんでこんなに早く来ちゃったのかな。まだ誰もいないのに…」
薄暗い廊下を一人で歩く。始業時間まではまだ一時間以上もあって、校舎の中に人影はほとんど無い。
委員か週番の人なら、もう少ししたら来るのかなぁ。高橋さんとか、いかにも登校早そうな人なんだけど。
と考えていたら、本当に高橋さんがいた。廊下の向こう側を歩いていて、どこかの教室に入るのが見えた。
「あの教室…」
校舎の一番端っこの教室。雨の日はいつもケイちゃんが使っている空き教室で、放課後はそこに行くのが私の日課になっている。
高橋さんがケイちゃんに会いに?
「まさか、ね…」
そう思いつつも、足はその教室に向かっていく。途中のどの教室にも人はいない。もちろんケイちゃんも。
「……じゃないのか」
ケイちゃんの声がした。珍しい、こんな朝早くに学校に来てるなんて。
「あなたのよ。お母さんが買ってきたの。冷蔵庫の邪魔になるから、飲んじゃって」
なんだか、妙な会話。ケイちゃんの相手は高橋さんみたいだけど、冷蔵庫?
「お母さん、心配してるわよ。もちろんお父さんもね」
「二人とも、いいかげんに『諦める』って単語を覚えりゃいいのにな。放っておいていいって、あの人たちに伝えてくれよ」
「ふざけた事、言わないで!」
私はその教室のドアの脇にいたけど、中にはは入れなかった。高橋さんが感情的になるなんて滅多に無い。それ以上に、彼女がケイちゃんと話をしていることの方が不思議。
でも、どうして。
「ふざけてないさ。ただの再婚相手の連れ子を心配するわけないじゃないか」
ケイちゃんのご両親、再婚なんだ。
「何言ってるの!?二人とも、本当にあなたの事を心配してるのに、どれだけ迷惑かけてるかわかってるの!?」
もしかしたら、私はここにいない方がいいのかもしれない。そんな気がする。
でも、私だって人並みの好奇心は持っている。
「わからないね!あいつらはオレの親なんかじゃない。家族なんかじゃない。いくらオレを心配していたって、そんなの世間体を保つための演技だ!お前も俺のこと嫌いだろう?だったら無視しろよ、心配するフリなんかするな!」
「あなたがやってるのは子供のわがままと同じ。お母さんは本当にあなたの母親になりたがっているのよ!でもそれを拒絶しているのはあなたじゃない!」
衝撃は、意外なほど小さかった。昼の連ドラのような会話が、目の前で繰り広げられるとは思ってもみなかった。
「当たり前だ!母親は一人でいい。オレの母さんはお前の母親じゃない。絶対違う。あの女も、おまえも、俺の家族なんかじゃない!」
高橋さんがケイちゃんを嫌う理由は、これなのかな。ケイちゃんが自分の家族だから。
「そんなに前のお母さんが大事なら、その人のところに行けばいいじゃない!そこで絵でもなんでも描けばいいじゃない!」
奇妙な沈黙がその場を支配した。
ケイちゃんは今どんな顔をしているんだろう。ケイちゃんの側に行きたい。
私には何も出来ないかもしれないけれど。
中に入ろうと思ってドアに手をかけた時、ケイちゃんの次の言葉が聞こえた。
「…そうだよな、初めからこうすればよかった」
多分、かばんを投げ捨てる音。
そして窓を開ける音。
「死ぬよ。そうすりゃオレも楽だし、お前の母親も心配事が一つ減るだろ?」
平手で頬を打つ音。
「……最低ね」
「なら、それ以下に落ちることもないな」
身体が動かなかった。悲しくて?
足音がして、目の前でドアが開く。出てきた高橋さんと目があって、彼女に睨まれた。
「…あ、ごめんなさい…」
当然ながら、ものすごく気まずかった。
「覗き見は感心しないわ」
高橋さんは一言だけ言って、私のことを一度も見なかった。
どうしよう。
「……青木?」
どうしよう。私はケイちゃんが聞かれたくないことを聞いてしまった。
「お前、なんで…」
どうしよう。どうしたら許してもらえる?
「あの、ごめんなさい」
「全部、聞いて…」
ケイちゃんの声が震えてる。
「…お願い、そんな簡単に『死ぬ』なんて、言わないで…」
「お前に、なにがわかるんだよっ!」
開いた窓から雨が吹き込んでくる。
「オレにっ、二度と近付くな!」
どうすればいい?
ケイちゃんはかばんを持って走って出て行った。私はその後を追うことすら出来なかった。
どうすればいい?
カーテンが濡れるから、窓を閉めようと思って窓に近付いた。吹き込んでくる雨が私の頬も濡らした。
全てが壊れた瞬間だった。
■Side K
誰が悪いの?
何で母さんが出て行くの?
何で父さんが謝るの?
…あの女?
始まりは些細なことだった。洗濯物の干し方、卵焼きの砂糖加減、全てが同じようで何かが違っていた。そこにはオレの母親はいなかった。母の仮面をかぶった知らない女がそこにいた。
楽しそうな笑い声。
だんだんオレの居場所が侵食されていった。新しい家族を拒絶したかったわけじゃない。居場所を無くした惨めな自分を見るのが嫌なだけだった。
誰かに、気づいてもらいたかった。
「無言でも分かり合えるなんて幻想。でも言葉にすれば誤解が生まれる。心は百パーセント伝わりはしない。人は結局一人だから、誰かを求める」
言葉なんて、儚いものに全てを託すのが間違いなんだよ。
「そうやって全てを否定すれば、生きていくのは楽になるかもね」
言葉にするのが面倒なんだ。
「分かってもらえないのが怖いんでしょ?」
そうなのかなぁ…。
誰か。
教えてくれよ…。