五月雨
〜ゴガツノアメ〜
雨は優しく降りしきる?
■Side A
今日の空は青くない。雲が重く、なんだか泣き出しそうに見える。
「ケイー、いるー?」
私が屋上でお弁当を食べていると、珍しく誰かがやってきた。ケイちゃんを探してるってことは、多分友達か何かだろう。
「えっと、ケイちゃんならさっき帰るって」
「あちゃー、入れ違いかぁ」
頭をかいて顔をしかめる。ケイちゃんとはまた違ったタイプの人で、さばさばした感じの人みたいだ。
「えーと、青木さんだよね、たしか。あたしは一応ケイの幼馴染兼腐れ縁の宮野。よろしくね」
「あ、こちらこそ」
頭をさげる。
やっぱりケイちゃんの友達だったんだ。なんだ、ちゃんといるじゃない。
「最近ケイ、ちゃんと授業出てる?あの馬鹿、美術しか出ないんだからなー。それに昼間っから寝てたら夜寝れないって言ってんのに」
「ケイちゃんのこと、よくわかってるんですね」
「まあ、腐れ縁だし」
そう言った宮野さんは、嫌なのか嬉しいのかわからない、複雑な表情を浮かべた。多分、嫌なわけではないと思う。嫌いなら、わざわざこんなところまで探しに来ないだろうから。
ほんとに、「腐れ縁」なんだ。
「小さい時から一緒なんですか?」
「あたしとケイ? 小学校の時からずっと同じクラスだよ。家も近いし。今年になって、ようやく別のクラスになったんだ」
十一年間ずっと一緒のクラス? 凄い…。
「いいなぁ…」
考えたことが口から出ていた。
「そう?」
「私、転校ばっかりだったから」
転校生のプロって感じです。これでもかってくらい、学校変わったから。
「親の仕事の都合とか? 大変だね」
本当はそれだけじゃないんだけど、別に言うほどのことでもなかったから言うのはやめた。
「私、人の名前とか顔とか覚えるの苦手で。アルバム見ても全然わかんないんですよね、元クラスメイトのことなんか。卒業アルバムとか、全然写真に写ってないから、滅多に開かないんですけど」
転校する時、誰かが「必ず手紙書くね」って言ってたっけ。でもそんな手紙、一度も届いたことなんか無い。結局、そんな約束は忘れちゃうんだろうね、毎日忙しいから。
でもその言葉がどれだけ嬉しかったか、その子は知ってたのかな。
「ケイもね、写真嫌いだからアルバムにまともな写真一枚も無いよ。今度見せてあげようか?学校行事にも参加してないから集合写真も無いしね」
「病気がちだったとか、そういうことですか?」
「あいつがそんなタマに見える?」
しばし考える。
「いいえ、全然」
きっぱり言い切る。そんな私に宮野さんは呆れたように笑った。
「まあ実際にそうなんだけどって、降ってきたね、中に入ろ」
ぽつりぽつりと空から落ちてくる滴は、乾いた地面を段々と濃い色に染めていく。私たちはそれを避けて屋根のある階段のところまで戻った。手を伸ばすと、その掌が濡れる。もっと強くなって吹き込んでこない限り、このくらいの距離で大丈夫だろう。
「…運動会とかさ、一生懸命練習してるのに、急に当日になって休むんだよね」
呟きのように宮野さんは言った。
「…仮病かぁ。贅沢だよ」
これは私の本音。
「もったいないなぁ…」
と、雨音にまぎれて聞こえるのは昼休みの終わりを告げるチャイムの音。
「やば、これ本鈴だよね。教室戻らなきゃ」
慌てて立ち上がる。私もお弁当箱を片付けて、残っていたパックの中の牛乳を一気に飲み干す。
うーん、やっぱり牛乳は冷たくないと駄目だ。
バタバタと階段を駆け下りていくと、その下には。
「あなたたち、早く教室に戻りなさいよ」
うちのクラス委員の高橋さんがいた。ぴしっと決めたいつものスタイルに揺るぎは無い。
「はーいはい。青木さん、ケイのことありがと」
お礼を言われるようなことはしていない気がするけれど。
「ちょっと宮野さん、あなたのクラス、理科室に移動じゃないの?こんな所にいていいの?」
「うるさいよ! クラス委員も大変だねぇ、いつも眉間にシワ作ってさ!」
高橋さんから逃げるようにして、宮野さんは走って廊下の向こうに消えていった。
この二人、あまり仲が良くないみたい。
「廊下は走らないで! もう、青木さん、私たちも行きましょう」
「あ、高橋さん」
歩き出した彼女の背中に問い掛ける。
「何?」
高橋さんは軽く私を振り返り、歩いたまま聞き返してくる。
「校庭のはじっこにある木って、何の木だかわかります?」
「ああ、桜の木よ。それがどうかした?」
「いえ、なんでも…」
ケイちゃんのことを話して良いものか迷って、私は言葉を濁した。
「忠告しておくけど、宮野さんたちと付き合うのはやめた方がいいわ。ろくな人間じゃないわ」
どうして。
「授業が始まるから急いで」
どうして高橋さんは、ケイちゃんや宮野さんが嫌いなんだろう。どうして敵意を持っているんだろう。なんだか、私を二人に近づけさせたくないみたい。
それ以上何も言えず、私は彼女の後を追った。
天気は雨。もうすぐ梅雨が始まる。古い校舎の廊下は暗く、今の私の気持ちのようだった。
■Side K
「ふわぁっ…あ…。あー、途中で寝たか」
床に座り込んでいたせいで腰が痛い。さすりながら立ち上がると、膝から鉛筆が落ちてコロコロとどこかに転がっていった。
「あ、やべ」
音はしたが、どっちに転がっていったかわからない。短い鉛筆だから、机や椅子の陰になって見つけにくいことこの上ない。
「ようやく六限終わりか…」
なんで、勉強しなきゃなんねーんだ?
たまに、ふと考える。
どうして人は好きなことばっかやってちゃいけないんだ?好きなことだけやって生きていたら、そりゃあ幸せなんだろうなあ。
手に持っていたスケッチブックを机の上に投げ出して、オレも机に座る。足をぶらぶら揺らして、思いっきり振り上げて上履きを壁まで飛ばした。
「おー、良く飛ぶ」
壁にぶつかって落ちた上履き。なんか、一人でやってむなしい。馬鹿やってないでちゃんと上履き履くか。
靴下のまま床に立つ。ひっくり返って転がっている上履きを履きなおして、ふと窓の外に目がいった。
「よく降んなぁ…」
しとしとしとしとしとしと……。
「ケイちゃーん、帰りましょうよー」
ガラリと勢い良く扉を開けるのは青木。ほんと、オレにかまう以外にすることはないのかね。
「あ、これケイちゃんが描いたんですか?」
しまった、片付けるの忘れてた。
目ざといことに、青木はオレが放っぽっといたスケッチブックをしっかり見つけていた。
お前がしげしげと見つめるほど、たいした絵じゃねーよ。
「素敵な雨の絵…。ちょっと意外、上手ですね」
嬉しそうに言う。きっと、本心なんだろうな。オレなんかにお世辞を言っても意味ねぇし。
「返せよ、それ」
青木の手からスケッチブックを奪い取ると、オレはそれをかばんの中にしまいこんだ。さっき落とした鉛筆は、まあいいか。筆箱も一緒に突っ込む。
「似合わないことやってて、悪かったな」
しばらく青木は目をぱちぱちさせていたが、やがていつものように能天気そうに笑った。
「変じゃないですよ」
やっぱり、コイツは変だ。
「もう、梅雨になっちゃうんですね」
カサとかばんを机の上に置いて、青木は窓を開けた。湿気を含んでむわっとした空気と、激しい雨音の両方が、一度に教室に入り込む。
「じめじめした、ヤな季節だな」
「たしかに」
湿気のせいか、青木の髪はいつも以上にくりんくりんだった。この時期、お前はオレ以上に大変なんだろうな。
「でも、梅雨が終わったら夏が来るんですよ?」
もう意識は夏に飛んでいるのか?ずいぶんと気が早いんだな。
「夏は暑いから嫌いだ」
「それは夏なんだから仕方無いじゃないですか。じゃあ、冬はどうです?」
冬。雪合戦にかまくら。クリスマスに正月。
「寒いのも苦手だ」
「春は?」
「花粉」
スギとかヒノキとか。
「それじゃあ、秋しか残ってないじゃないですか!!」
「残念だが、オレは秋が一番嫌いだ」
そう言ったら、青木はあからさまに嫌そうな顔をした。
「秋になったらケイちゃんと一緒に遊園地行ったりピクニック行ったり、たくさん遊ぼうって今から計画してたのに!」
おい、三年生。受験勉強はどうした。
「なんで秋が嫌いなんです? スポーツ、芸術、勉強に運動。何でも出来るじゃないですか」
なんでコイツはこんなにムキになれるんだろう。たかが季節の話で。
「別に理由なんて…」
無い。と言ったとしても、青木は納得してくれそうに無かった。
「…わかったよ、言えばいいんだろ、言えば。…運動会だよ。あれが嫌いなんだ」
理由は聞くなよ、と先手を打ったら、青木はまたしても嫌そうな顔をした。
「先に言うのはズルイです…」
「知るか、んなこと」
窓を閉めて、鍵をかける。
「帰るんだろ、行くぞ」
荷物を手にとってドアの方に向かう。青木も慌てて自分のかばんとカサをつかむと、オレの後を追ってきた。
「にしても、春は嫌い、夏も嫌い。秋は一番嫌いで、当然冬も嫌い。ケイちゃんて、ほんっとわがまま娘ですね」
そのセリフ、前にも聞いたぞ。
「オレの身体はわがままにできてるんだよ。諦めな」
「とりあえず、春から好きになりましょうよ」
だからなんでそんなにこの話題にこだわるんだよ、お前は。オレが一年中嫌がってたって、お前には関係ないだろう?
「だから、私のために絵を描いてくださいよ」
「はぁ?何でそおゆう展開になる?」
こいつ、ほんとに会話の流れがつかめねぇ。
「理由は聞かないでくださいよ? この前ケイちゃんが言ってたあの木、桜の木なんでしょう。春になってあの桜が咲いたら、その風景を絵にして私にプレゼントしてください」
歩くオレの前に回り込んで、青木はオレを見上げて言った。
「約束です」
約束。久しく聞かなかった言葉だ。
そういや、オレは誰かと約束なんかしたことあったっけか。
「ずいぶん一方的な約束だな」
「ハイ、わかってます」
約束、か。
たまにはいいかもな。
「まあ、そのうちな」
「本当に?約束ですよ?」
青木のその嬉しそうな顔といったら。どうしてこんなことでそんなに喜べるんだろう。
「そのうち、だからな。十年二十年かかるかもしれないぞ」
「いいんです!私、何年でも待ちます!」
おいおい、そういう言葉は男に言ってやれよ。オレはそんなこと言ってもらえるような、格好良い人間じゃないぞ。
でもまあ、こういうのも悪くないか。
と、そんなことを考えるくらい、オレはコイツに流されてるんだろうなぁ…。