春嵐 〜ハルノアラシ〜
春に出会った貴女へ
■Side A
初めて入った校舎は、何となくかび臭く感じた。古い木造三階建ての校舎は、歩くたびに上履きの下でぎしぎしと音が鳴る。ずいぶんと空き教室が多くて、聞いてみたら生徒がどんどん減っているらしい。私みたいに東京から来る人は珍しいことだって言われた。
「ここが職員室、このまま真っ直ぐ行くと美術室があるわ」
私の数歩前を歩くクラス委員、高橋さんだったっけ、が教えてくれる。きちんとプレスされたプリーツスカートに三つ編み、ついでにきっちり三つ折靴下。これぞクラス委員、まさしく優等生ってな具合のスタイルが驚くほど彼女には似合っている。きっと根も真面目なんだろう、きっと。
いいなー、私には無理だな。
廊下のガラスに映った自分の頭を見て思った。癖っ毛で切れ毛も多い私の頭じゃ、三つ編みなんてとんでもない。これから来る梅雨の時期なんて考えただけでも恐ろしい。爆発しちゃう。
「青木さん、だいたいこれで全部だけど、何かあったら遠慮せずに聞いてね」
「ありがとうございます。あの、一つだけいいですか?校舎の屋上って上がっても大丈夫?」
初めてこの学校を見たときから気になっていたことを聞いた。
屋上に上がって、そこから海を見たら気持ちいいだろうなって、ずっと考えてた。晴れた日には水平線とかが見えて、カモメとか飛んだりして、きっと海風とかいい感じだし。
そんなことを一人で考えていた。
私の問いに何故だか高橋さんは嫌そうな顔をしたけれど、その理由を私が知るのは、まだ少し先のことだった。
■Side K
ごろん、と寝返りをしたら、日差しが強いようで、目を閉じていても明るいのがわかった。それがうざったくってオレは片手をかざしながら目を開けた。
「…眠い」
腕時計に目をやると、そろそろ昼休みの時間だった。ずっと寝てたから、あんまり空腹は感じない。さて、これからどうしようか。このまま家に帰るも良し、再び惰眠を貪るも良し。
そんなことを考えていたら、後ろの方でガラガラと音がした。屋上のドア、しかも立て付けの悪い引き戸が開く音だ。
厄介な奴がきたな…。
振り返って見なくても誰が来たのか見当はつく。全校生徒、一日中オレが屋上を占拠しているのは知っているはずで、わざわざやってくる物好きな奴はほとんどいない。
ほとんど、というより約一名か。
「また寝てる。…ケイ、あんまり寝てると脳みそ溶けるぞ」
腐れ縁登場。びん底じゃないが、めがねをかけた新聞記者志望の宮野だ。断っておくが、あくまで腐れ縁であって、親友なんていう御大層なモンじゃない。
「溶けねーよ。で、今日はどんな大ニュースがあるんだ?」
スカートのほこりを払いながら起き上がる。
あ、しまった、プリーツにしわが出来てるや。まあ、いいか。どうせアイロンがけするの、自分なんだし。
「ふっ、今日の話題は噂の転校生だ!…えーと、名前なんて言ったっけ…」
おいおい…、大丈夫か?記者志望ならそれくらい覚えとけよ。
胸ポケットから生徒手帳を取り出す宮野に、オレは心の中でつっこむ。
「あ、あった。『青木マヤ 3年2組』 なんだ、ケイと同じクラスじゃん。へー、しかも席が隣らしいよ、やったね」
それで?滅多に教室に行かないから、オレには関係ないさ。
「本当に普通の子なんだって。超美人だって噂になってたけど、やっぱり噂は当てにならないね。噂には尾ひれは付き物だし」
つまらなさそうに呟く宮野。
「おまえが無責任な噂を広めたんだろうが」
いつもそうだ。わけのわからないうわさを広めるのはコイツの専売特許。噂に泣かされた男達が、一体何人居ることか。まあ、女も泣かされたことはあるだろうが、そこはそれ、女は何かとタフにできてるから。
「ちがーう!あたしがやったのは『我々はついにその実態を捉えた!近日、本校に美人(かもしれない)転校生現る!』って見出しの新聞を配っただけじゃん。ちゃんと『かもしれない』って付けたもんね。あたしに罪は無い!」
十分無責任だ。無責任以外の何物でもないだろうが。自覚してないから、ものすっごく性質が悪い。いや、悪すぎ。頼むからオレに近付くな、同類と見なされる。
「『転校生は魔女!?』とか『転校生お宅拝見』とか『密着二十五時!殺意の裏側、今夜あなたは真実を見る!』とか、いろいろ考えたんだけど」
勝手に殺すなよ。そういや、こんな風に「殺された」奴も居るかもしれないな。信じてる奴が居ないから実害は無いようだが。でも、名誉毀損とかにならないのか?
「ところでおまえ、新聞部じゃないだろ。ちゃんと許可もらってそーゆーことやってるのか?」
「え、あるわけ無いじゃん」
それはマズイって。頼むから威張って言うな。
「でね、転校生なんだけど…」
さらっと流すなよ。さらっと。
ジト目で睨んでみるが、全く効果が無かった。こういう奴だから今でもオレと付き合っていられるんだろうけど。
「この時期に転校ってことは、やっぱわけありだよね。この宮野様の情報網を駆使してもわからなかったのは、ちょっと悔しいけど。あたしが本気になれば全校生徒のスリーサイズだって一週間でわかるっていうのに…」
すごいことを言った気がする。
「おい、宮野」
なんか一瞬、耳を疑いたくなったぞ。
「何?誰かのスリーサイズ知りたいの?」
「いや、そうじゃなくて。第一、女が女のスリーサイズ知って何が面白いんだよ」
オレの質問に宮野は怪しげで胡散臭そうな笑みを浮かべた。
「ふふふ、それはもう、あーんな事とかこーんな事とか……」
そうやってると、本当にヤバイ人みたいなんでやめてくれ。頼むから法に触れるような真似はしないでくれよ。
「あー、もう。オレは寝るからな。これ以上邪魔すんなよ、いいな」
呆れたというか、もう関わりたくないというか。嫌がっても宮野の方から来るんだけど。とりあえず逃げの手段としてオレは再び寝ることにした。いちいち付き合ってたらこっちの身がもたん。
「あっそ。脳みそ溶けるぞ〜」
だから溶けねーっつーの。
ごろんと横を向いて無視を決め込む。盛大に溜息をついた宮野は、来た時と同じようにガタガタと立て付けの悪い戸を開けて屋上から降りていった。
あー、なんか馬鹿やってたらお腹空いたかも。
仰向けになって空を見上げたら、やっぱりそれは青くて、何故だか目に染みた。
■Side A
チャイムの響きが授業の終わりとお昼休みの始まりを告げる。ざわざわとした教室から、私はお弁当を持って抜け出した。
いくら転校生が珍しいからって、休み時間中質問攻めにされるのはたまらない。おかげでトイレに行くのも一苦労だった。
まあ、それもあと二・三日で終わると思う。そういうのは、慣れてるし。
昇降口の近くにあった自動販売機でパックのジュースを買いこんで、私は委員長に教えてもらった屋上に上がってみた。階段は薄暗いし、あんまり人が来そうにない。
天気がイイのにもったいない。
ふと、屋上に人影が見えた。というか、倒れている人がいた。
まさか、日射病!?
そう思って駆け出したら…。
「え、あ、きゃぁああっ」
段差に足を引っ掛けて、思いっきりバランスを崩してこけた。
ジュースのパックとお弁当箱は宙を舞って、そのうちの一つは驚いて起き上がったその人の頭にスコーンとぶつかった。
「な、何だっ…!」
…倒れてたわけじゃないんだ。考えてみればまだ春だし。
ただ単に昼寝かなにかしてたみたい。あー、びっくりした。でも女の子が屋上で寝転がって昼寝っていうのはどうだろう。しかもこの時間だと前の四時間目の授業はサボり?
あ、もしかして…。
「…牛乳?」
はっと我に返る。
「あっ、ほんと、ごめんなさい。なんかお昼寝の邪魔しちゃって…」
「あー、別にいいよ」
そう言って彼女は牛乳のパックを私に放って寄越してくれた。
「えっと、お詫びに一つどうぞ」
拾ったパックの埃を払って差し出す。さっき買ったばかりのそれはまだ冷たく、汗をかいていた。
「いらない。牛乳は嫌いなんだ」
彼女はあっさり言った。
「じゃあこっちの野菜ジュースは?」
「トマトが入ってるから飲めない」
トマトって…、あんた子供ですか。
「…コーヒー牛乳ならなんとか」
とりあえず今度は野菜と関係なさそうな飲み物を差し出してみる。
「コーヒーは、ブラックしか飲まない主義なんでね」
しかし彼女はあくびをしながら、それもあっさりと拒絶した。
…なんか、むかつくかも。
「わがまま娘…」
思わずぽろっと本音がこぼれる。
「はぁ?なんで見ず知らずの人間に、んなこと言われなきゃなんねーんだよ」
ああ、そう言えばまだ名乗ってなかったかも。
「私、今日転校してきた青木です。よろしくお願いします、ケイさん」
にっこり笑って挨拶。基本その一。
「…なんでオレの名前」
不審そうな顔つき。そりゃあそう。見ず知らずの人間が自分の名前を知っていたら、普通は驚くし、疑問を抱く。
「ケイちゃんのが良かったですか?」
「ちゃん」付けの方が、一層フレンドリーで二重丸プラス花丸。私は友達は名前で呼ぶ主義なんで。
「そんな問題じゃないんだけど…」
「友達になってください、私と。一緒にお茶しましょう」
「…………牛乳で?」
たっぷり沈黙の後、ケイちゃんは私が握りしめた牛乳を指差して言った。
しまった、牛乳はお茶じゃない!
「えーと、牛乳は胸が大きくなるって言うじゃないですか!」
「…それ、迷信だろ」
マジですか?誰だ、私に嘘教えたの。
「でさ、結局あんた、転校生なわけ?オレにかまってるなんて、よっぽどヒマ人なんだな」
敵意というか、トゲ丸出し。嫌われちゃうよ?そうでなくても誤解を受けるのは必至。もうすでにクラスメイトから受けてるみたいだけど。
ケイちゃんが変わった人だって、クラスの子たちはみんな口をそろえて言っていた。問題を起こすから近寄るなって。その時は、私は曖昧に笑って誤魔化した。
「仲良くなりたいって思ったから、だから友達になりたいって言ってるんですけど。それも駄目なんですか?」
これは直感。こんなのも「有り」だと思う。
曰く、私も変わった種類の人間だから。
■Side K
「…変なヤツ」
オレがぽつりと呟いたら、そいつは嬉しそうに笑った。
「ケイちゃんもそうなんじゃないですか?」
確かに。
つまりこれは、類は友を呼ぶって話か?
苦笑をしようか内心迷ったが、とりあえずは無表情のままにしておいた。