機械仕掛けの天使


 重く立ち込めた灰色の雲をサーチライトが照らし出す。先ほどまで銃撃戦が続いていた路地も、今は一時の静けさを取り戻している。
――どっちに行った?
 バタバタと暗がりに響く複数の足音。
――3人は引き続きこの付近の捜索を。残りは市街地中央へ。
――了解。
 そして足音は去っていく。
 しばらくして、残された闇の中でうごめく影が1つ。壊れかけた街灯の光の下のその顔は、まだ少年の面影を残した年若い青年のものだった。薄汚れたアーミージャケットにすり切れたジーンズ。腰にはサバイバルナイフをさし、手には拳銃を構えてはいるものの、お世辞にも様になっているとは言えない。
 周囲の様子をうかがいながら青年――レンは大きく息をつく。

「……まずいな。どうやったら逃げきれるだろう」

 胸ポケットにしまったディスクに服の上から触れる。指先に伝わる固い感触を確かめてから、再び己の逃走経路について思索をめぐらせる。軍の施設に忍び込んで盗み出したデータ類。なんとしても、この情報を仲間のもとに持ち帰らなくては。
 思えば思うほど、責任感とすぐそこまで迫っている自分の命の危機に手がふるえてくる。それを押さえられるほどにレンはこのような状況に慣れてはいなかった。いや、むしろ慣れていない方が普通のはずだった。



 軍がクーデターを起こして政権を握ったのが2年前のこと。大統領は処刑、軍部に非協力的な政治家も次々にその命を奪われていった。慣れない銃を手に取ったレンのような青年たちは、ゲリラやレジスタンスといった地下活動に身を投じ、反戦をうたった矛盾を含んだ戦いを続けていた。人員的には劣らなくても装備の面で圧倒的に劣るゲリラ側は苦しい状況になりつつある。今月になって軍に新型兵器が投入されるとの情報を入手したゲリラ側は、その詳しい情報を引き出すために危険を冒して軍の施設に工作員を送り込んだ。
 そのうちの1人に選ばれたのがレンである。レンは射撃訓練では好成績を修めていたし、また半年という短い期間ではあったが兵役にもついていた。だがそこでの経験はあくまで「訓練」で、自分の真横を銃弾が通り過ぎていくような実戦の経験はほとんど無い。
 一緒に忍び込んだ仲間のうち、数人はすでにこの世の人ではなく、残りの仲間ともはぐれてしまった。脳裏には銃で撃たれた彼らの悲鳴が響いてくる。初めて経験する身近な死に、やるせない怒りと悲しみがレンの胸にふつふつとこみ上げてきた。
 なにがあってもここから逃げなくては。

「でなきゃ、みんな浮かばれないよな……」

 いまだ手に馴染まない銃を握り締める。できることならば馴染まずにいてくれた方が良いと、心のどこかで感じながら。

「ともかく、エアバイクを置いた所まで戻らなきゃな」

 逃走用に用意したエアバイクを置いた場所を思い浮かべる。仲間とはぐれた場合もそこで落ち合うことになっていた。だた問題はそこが軍の施設をはさんで、ちょうど反対側だということだ。いくらなんでも警戒態勢の中を突っ切る気にはなれない。突然の発砲に驚いて逃げ出す方向を誤った自分を呪いたくなる。
 思わず大きな溜息が出る。と、注意が散漫になった途端。
 カラン、カランッ…
 甲高い音が静かな路地に響く。

「いたぞ!!こっちだ!!」

「しまった!!見つかった!?」

 慌てて暗闇の中に身をひるがえす。こうなったらひたすら走って逃げるしかない。逃げ切れる確率がどれだけゼロに近くとも。
 明かりの無い裏道を、ただがむしゃらに駆け抜ける。先日の雨で出来た下水まじりの水たまりを踏み越え、なんだかわからない固まりにつまずいて、それでも一心に足を動かしつづける。
 パンッ、パァンッ…!!
 背後で兵士が撃った銃弾が石畳に跳ね返る。

「くそっ、問答無用かよっ!!」

 捕らえて仲間の居場所を聞き出すなど、そんな生ぬるいことをするつもりはないらしい。殺して、その死体を抵抗する者たちへの見せしめにでも使うつもりなのか。やつらならやりかねないとレンは思う。
 こんなところで死んでたまるか。

「運はいい方だと思ってたけどなっ!!」

 いつのことだったか冗談半分で街角の占い師に運勢を見てもらったところ、「あなたは非常に強い星の下にある」と言われたことがあった。思えば倍率が高くて有名なスクールの入試にも補欠で通ったし、雑誌の懸賞も当たったのは1、2回ではない。徴兵されて入った軍は穏やかで1番楽だと噂のある基地に配属になったし、そこから脱走する時もなんだかんだ言いながらも無事に逃げられた。その運勢も今日でおしまいか。

「う、わぁっ!!」

「こっちだ!!ライトをよこせ!!」

 空きビンのようなものを踏んで派手に前に転んだところを、後ろからライトで照らされる。振り返った途端の急な明るさに右手を顔の前にかざしながら、それでもなお逃げようとしてジリジリと後ろにあとずさる。
 どんっ…

「っはは…、マジで運を使い果たしたのかな」

 数階分はあろうかというブロック塀を見上げて、レンは胸の前で十字を切った。

「侵入者には射殺命令が出されている。やれ」

 これから自分を殺すであろうやつらの顔を一目でも見てやろうと思ったが、あいにくと言うかライトのせいで逆光になっていて、最期にそれを拝むことは無理そうだった。

「…後ろから撃たれるより、幾分マシってか」

 そして来るべき次の衝撃に備えて、目を閉じた。
 とさっ…
 しかし、思っていたのと別の方向から訪れたモノがあった。意外なほどに軽い着地音をさせて、レンの前に落ちてきた人影。

「え……」

「何者だっ!!」

 パシュッ…!!
 パシュッ…!!
 空から突然降ってきた「それ」は何か言葉を発するわけでもなく、ただ腕を前に突き出しただけだった。そして空気の抜けるような音がするのと同時に、兵士達はまるで人形が倒れるように次々と地に重なり合っていった。

「うわぁああっっ!!」

「こいつは戦闘型のっ…!!」

 科白は最後まで続くことは無く、「それ」が訪れてから数秒もすると、動くものはレンと「それ」のただ2つになっていた。

「…こっちへ」

 少女の声でそう告げる「それ」の姿は、またしても逆光によって確認することは出来なかった。だがその背に鳥のような白い羽がついているのを判別することが出来た。

「……天使?」

 幼い頃に読んだ絵本の挿絵を思い出す。白金色の髪に白い肌、白い衣。そこに描かれていた天使とやらに、「それ」の姿形はそっくりだった。
 問いかけの言葉には答えず無言のままレンの腕を取ると、いきなり裏道を駆け出した。

「ちょっ、うわっ!!」

 彼女の足は速かった。レンも全力で走っているにも関わらず、着いて行くのに精一杯という状態だった。
 二人が走っている裏道に街灯はなく、月明かりも厚い雲に遮られて届かない。だが彼女はそれをものともせずに突き進む。まるで一寸先の闇の中が見えているかのように正確に道を選んで足を出す。一方何も見えないレンにとっては、手を引かれていても闇の中での全力疾走はジェットコースター以上の恐怖である。角を曲がる時の突然の90度方向転換による遠心力で足をもつれさせて転びそうになり、それでも彼女が速度を緩めようとしないので、そのたびに体が半ば宙に浮きかけて地面を引きずられそうになった。
 どこをどのように走ったのかわからないが、そうやって路地を抜けた先は何故か切り立った崖だった。
 この街に崖なんてあったか?
 そう思って街全体の地図を頭の中に思い描いてみる。が、その前に嫌な予感が脳裏をかすめた。

「待っ、ちょっ、うわぁあっ〜〜〜〜!!」

 問いかけは途中から意味のない絶叫に変わり、そして声にならない悲鳴になった。一瞬の浮遊感の次に下方への重力。
 だが涙で埋まった視界の隅、レンの手を引く彼女の背中で、先程と同じような白い翼がゆっくりと開いた。数瞬の出来事だったはずだが、レンはその様子をまるで映画を見るような感覚ではっきりと見ていた。
 彼女はレンの体をぐいっと体を引き寄せる。そして2・3回翼をはためかせ、ゆっくりと地面に降り立った。



「……先生、お客様がお目覚めになったようですよ?」

「んー、わかった。今行くから待っててよ」

 目を開けたら、そんなやりとりが耳に入ってきた。目に映るのは白い天井。照明が明るすぎて、レンは目をしばたかせた。
 崖から飛び降りたあと、安心からかレンは気を失ってしまった。そして例の彼女にここまで運ばれたらしい。

(うっわ、俺、すっげぇ情けないな…)

 よいしょ、と声を出して起き上がる。かたわらには長い金髪をゆるやかにウェーブさせた、二十歳前後の美しい女性がいた。

「お怪我はありませんか?」

 たずねられて、レンは体を動かしてみる。特に大きな怪我も無く、体が痛むということもない。銃撃戦をくぐりぬけたにもかかわらず、怪我と言えるのは転んだ時にできた膝のアザくらいだ。

「大丈夫みたい、です」

 もしかしたら「強運」というのはまだ有効なのかもしれない。

「そうですか。では何か飲み物を持ってきますね」

 その女性は微笑むと席を立った。そして部屋を出て行く。
 後姿を見送ってから、そのままレンは部屋の中を見回してみた。なんとなく白い部屋だ。女性が「先生」と言っていたから病院だろうか。清潔感あふれるというか、普通の部屋であるが、どこか研究室のように感じる。窓はブラインドが下りていて外の様子はわからなかったが、まだ朝にはなっていないようだ。時計を見てみると、午前3時を過ぎた頃だった。3〜4時間は寝ていたようだ。
 コンコンッ…

「失礼するよ?」

 軽いノックの音と同時に声がした。と思うと、声の主はこちらの返事を聞く前に勝手にドアを開けた。

「…元気そうだね。怪我は?」

「あ、別にありません。その、助けていただいてありがとうございます」

 入ってきたのは30歳に届くか届かないか、といった男性だった。薄いブルーのワイシャツに、くたびれた白衣を羽織っている。医者と言う雰囲気ではない。どこか研究室のようだ、というレンの感想はあながち外れではないかもしれない。
 ベッドの脇にあった椅子を引き寄せて座ると、にこにこと笑う。

「君を助けたのは僕じゃないよ。彼女だ」

 だから「彼女」とは誰なんだ、と聞きたかったが、「はあ」と生返事をするにとどまった。

「えーと、君の名前は?」

「……レン」

 あえてファミリーネームは名乗らなかった。そんなレンの態度に怒るでもなく、男性はにこやかな表情のままで自分の紹介をした。

「僕はクロード・天河。よろしく」

 そう言って右手を差し出してくる。その雰囲気につられて、思わずレンも手を差し出していた。

「失礼します。先生プロフェッサー、お茶がはいりました」

 ゆっくりとドアが開けられる。ティーセットを載せたお盆を持っているのは、レンを助けた例の彼女だった。
 それよりもレンが驚いたのは、彼女の言葉の中にあった「先生プロフェッサー」という単語であった。

「もしかして、ドールマスター?」

「あ、知ってた?」

 にこやかに笑う天河。何か信じられないものを見たように、レンは言葉を失った。
 レンの目の前にいる男性、プロフェッサー・クロード・天河。ドールマスターの称号を持つ彼は、年若きロボット工学のオーソリティーである。

「とりあえず君を助けた彼女を紹介しよう。第3世代汎用戦闘型ドールTYPE−AG、通称"天使シリーズ" そのプロトタイプのユイ。可愛いだろう?」

 天河に紹介されると、手に持ったお盆を置いてユイは無表情のまま頭を下げた。
 ドールとは天河が開発した高度な人工知能を搭載したアンドロイドのことである。現在ではドールに準じた様々なタイプのアンドロイドが開発されていたが、最も高性能なのが天河の作製するドールである。

「天使シリーズって、先週ロールアウトされて軍に配備されたばっかりのヤツか…?」

 呆然とレンは呟く。

「おや、よく知ってるね」

 知っているのは当然である。レンの胸ポケットに入っているディスク、その中には各地の基地への新型ドールの配備状況と性能など個体情報が詰め込まれているのだ。
 第3世代"天使シリーズ"、初めて戦闘用に開発されたドールだ。初期設定の段階で銃器を始め様々な武器が標準装備されている。また状況に合わせた特殊装甲を着脱することで陸・海・空、さらには月面や宇宙空間での戦闘にも対応可能という「汎用」の名に相応しい機種である。それだけにレン達にとっては脅威といえるのだが。
 ちなみに前世代ドール"マリオネットシリーズ"はコンピューターに連結可能な、情報処理に特化した機種であった。

「それでね、ユイを君に預けようかなーって思うんだけど、どうだろう?」

「…………は?」

「なんか、ユイが君のことを気に入ったみたいなんだよね」

 今自分の顔を鏡に映したら、おそらくものすごく間抜けな顔をしているのではないかとレンは思った。思考回路がついていかないと、顔面の筋肉まで弛緩するとは知らなかった。
 首だけを動かしてユイのことを見てみると、彼女は相変わらずの無表情のままてぜ天河の側にひっそりとたたずんでいた。

「いきなり君を連れて帰ってくるから、こっちもびっくりしたんだよ」

「…あの、預けるって、俺は、その」

 レンの言葉を遮るように天河は手を振る。

「あー、そこらへんは僕は気にしないから。正直なところ、そっち側の方が何かと問題無いんだ」

 どこをどう解釈したら、ゲリラ側にプロトタイプドールを置いておくことが問題無いのだろうか。軍にばれたら盗まれたと言われても仕方無いではないか。

「軍がね、ユイを引き渡せって最近うるさくって。ユイにはオプションで色々な機能を付けたから、それを狙っているらしい」

 可愛い娘を軍隊になんか入れたくないからね、と言葉を続けた。

「第一、年頃の女の子が居る場所じゃないよ。ユイを普通のドールと同じただの戦闘マシーンだなんて考えてるやつらに、誰がユイを渡すもんか」

 そうやって一人でまくし立てる天河の様子は、親馬鹿そのものと言える。少なくともレンにはそう見えた。

(娘を嫁に出すわけじゃあるまいし…)

 口には出さなかったが、レンが心の中でそう言ったのは至極当然のことだろう。

「…ユイには、ちゃんと感情があるんだ。だからユイが気に入った君なら、ユイの良いマスター、…家族になれると思う。引き受けてもらえないかな?」

 語る天河は、ふと真剣な顔に変わった。

「ユイだけじゃない。プロトタイプって呼ばれるドール達は、みんな感情を持っている。量産型の"人形ドール"とは違う」

 その姿とその命はかりそめのモノではではあるけれど。
 ヒトが創りだしたモノだけれど。
 そこには温もりがあって。

「……ユイ」

 レンは真っ直ぐにユイの瞳を見て、そしてそっと名前を呼んだ。

「はい」

 ユイはその深緑の瞳に喜びの彩をたたえ、やわらかく微笑んだ。

(ところで、どうやって帰ろうかな…)

 おそらく各地で軍が検問を設けているだろう。そこをどうやって抜けるか、レンは思索をめぐらせる。ドールとはいえ、ユイに怪我をさせるわけにはいかない。そんなことになったら天河に殺されるかもしれないと、薄々レンは感じていた。まあユイは天河の「娘」なのだから、それも当然なのかもしれないが。
 色々な問題は山積みになっているような気もしたが、しばらくはこの「天使」と一緒に居ることにしよう。
 考えていることがしっかりと表情に出ているレンを、ユイは不思議な生き物を見るような面持ちで眺めている。
 嬉しそうな表情でその様子を見守りながら、天河は紅茶のカップに口をつけ、ぬるくなってしまったそれに少しだけ眉間にしわを寄せた。


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「ところでアリス、あの紅茶は君が入れたのかい?」

 自分の部屋に戻った天河は、今日のスケジュールを伝えに来た女性――レンがここで最初に出会った長い金髪の女性――にそうたずねる。いつの間にか夜は明け、朝になっていた。下ろしたブラインドの隙間からは朝日が差し込んでいる。

「もちろん。ユイにはまだ無理でしょう?だったら私が入れるしかないじゃない」

 どこかいたずらっ子のような表情でアリスは答える。

「僕は君に紅茶の入れ方なんか教えたっけ?」

「いーえ。貴方は何も教えてくれないから、自分でネットワークにアクセスして自分で情報を入力したの」

「ふうん、アクセス用の端末は上手く機能してるみたいだね」

 机の引出しから取り出した眼鏡をかけると、天河は彼女の髪を持ち上げて首筋を覗き込んだ。普段は髪で見えない位置だが、そこには端末部分が剥き出しになっていた。

「今度ちゃんと綺麗にしなきゃね」

「別に大丈夫だけど…」

 言ったアリスの額を軽く叩くと、ぺしっと良い音がした。

「僕が嫌なの。ところで、もう一度僕に紅茶を入れてくれないかい?さっきのはぬるくなっちゃっててさ」

「…Yes,My Master」



 第1世代ドール"Aliceシリーズ"
 人間を補佐することをその主な役割とするドールと言われている。