#10 I 〜[ a i ]〜
去年まで独りで迎えていた春。
今年は二人で桜の下に居る。
けれど。
実際の所、この感情は最初から私の胸の裏にあったわけで。
私達、次の春も一緒に居るの?
見上げると満開の桜。
淡い紅色は私の心。
降ってくるのは私の泪?
ねぇ、来年の春も貴方は私の隣で桜を見ている?
身体中で感じる貴方の熱。
抱き締める腕は幸せの形。
その蒼い瞳には私だけを映していて。
未来永劫。
この瞬間。
私は貴方だけを求め続けるから。
「何を考えているんですか?」
顔を上げるとそこにはセイの顔があって、その向こう側に夜空に映える桜が見えた。
「多分セイのこと」
そう答えたら、セイは言葉を詰まらせた。
何かを言いたそうに口を開いて、何も言わずにそれを閉じる。
ずっと見ていたわけではないけど、セイはそんなことを何度か繰り返していた。
最終的にセイは私の頭の上に手を置いて、私は片腕で強く引き寄せられた。
「なかなか、上手い言葉は見つからないものですね」
抱き寄せられた胸からは彼の心音が聞こえてくる。
それは生命の鼓動で、何故か私を安心させた。
「あひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思わざりけり」
突然、降って来た五七調の言葉。
「今思い出したんですが、そんな気持ちです」
「よくそんな歌知ってるね」
「昔、世話になった人が好きだったんですよ」
百人一首の中の恋の歌。
昔は物を思わざりけり、という言い回し。
『昔は子供だから何も考えなかった』って意味だと、ずっと思ってた。
けれどそれは間違いで、本当は熱烈な想いを謳った歌。
今の想いと比べて、昔はこれほどまでに貴方の想っていなかった。
片思いをしていた時よりも、出会って結ばれてからの方が一層想いがつのる。
そんな意味の歌。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
だから、私はこう返した。
「一概に桜のせいにはできませんよ」
そうなんだけどね。
そうなんだけど、桜は人の心を惑わせるから。
実際の所、この不安は最初から私の胸の裏にあったわけで。
人を好きになるということは、その人を乞うということで。
けれど貴方は私ではないから、一つになることなんかできないと。
そんな想いも含めて、人はこれをアイと呼ぶのだろう。