#04 曖 〜日が雲に包まれて暗いさま〜


しばらくして彼のもとに運ばれてきた紅茶は香り高く。
また片手で白いティーカップを持つポーズがとてもよく似合っていて。
格好良いな、とふと思ってしまって。
なんだがはずかしくなった私は、少し視線を下げた。
手持ち無沙汰を紛らわせるために頼んだレアチーズケーキを口に運んだら、適度に冷やされていたそれは予想以上においしくて。
なんとなく嬉しかった。




しばらくして運ばれてきたコーヒー。
彼女は角砂糖1つとミルクを入れてからそのカップを持ち上げた。
ふと、その一連の動作に気品のようなものを感じ、僕はそれに見とれる前に自分のティーカップを手に取った。
彼女は目を伏せていたが、ケーキを口にすると少し嬉しそうな顔をして。
何故だかわからないが、なんだか僕も嬉しい気がした。




夕方のせわしい時間帯だというのに、私とセイの間の時はゆっくりと流れていた気がする。
店は入れ替わり立ち替わり学生などの客が行き来してざわついていたけれど、私たちがいる一角だけは静かな空気を保っていた。
本当のところ、最初は沈黙が気まずくて仕方なかったのだけど。

椅子の背もたれにかけられたチャコールグレーの彼のコートに目をやって、そしてテーブルの上のケーキに戻す。
もとから私は話をするのが得意ではない。
どちらかといったら聞き手で、自分から話を振るのが苦手だ。
それに、彼とは何の話をすればいいのだろう。
学校のこと?
好きなアーティストのこと?
そんな話をして、彼は楽しいだろうか。

「今更なんだけど、どこに住んでるとか、聞いても平気?」

「平気ですよ。そんなに気を使わないでください」

思い切って聞いてみたら、セイは苦笑しながら教えてくれた。
それほど秘密にしているわけでもないらしい。
彼のような職業の人なら素性は隠すものだと思っていたから、こんなに簡単に教えていいものなのかと私は内心で驚いた。
その驚きも多分お見通しで、セイは住所と携帯のナンバーを書いたメモを私にくれた。
上手、というより丁寧なセイの字は、私を妙に納得させるものだった。

メモにある住所から、彼の家までの地図を思い浮かべる。
私の住んでいるマンションからだと、歩いて10分もかからない。
川沿いに道を歩いて橋を渡ったすぐのところで、住宅地と工場地の境目のあたりのマンションだ。
大方、工場の跡地に建てられたのだろう。
駅からだと徒歩20分位で、少し遠い。

「結構近くに住んでるのね」

「そうですね。まあ、機会があったら遊びに来てください。
 お茶くらい出しますから」

社交辞令だろうか。
それとも、本気?

「…近くまで行ったら、寄らせてもらうね」

そう言って私は丁寧にメモを折りたたみ、手帳にはさんでバッグにしまった。

(…どっちでもいいや)

突然訪ねて行っても、多分セイは笑って迎えてくれる。
そんな気がした。
私がセイに会いたくなった時、セイが私に会いたいとは限らないけれど、たまにお菓子なんか作って持って行くとか、そんなことをしてみてもいいかなと、ふと、思った。


いつしか沈黙は気にならなくなった。




僕がレシートを持って立ち上がると、彼女はコートを羽織り自分の荷物を持って立ち上がった。
僕がお金を払っている間まゆさんは黙って僕の斜め後ろに立っていたが、店を出たところでふいに口を開いた。

「自分の分は、自分で払うから」

あまり予想していなかった言葉に、僕は面食らった。

「いいですよ、たいした額じゃないですし」

実際に、ケーキと飲み物だけでは千円にも満たない。
僕は特別に裕福というわけではないが、本当にどうってことのない金額だ。
それに、まゆさんは年下で、そもそも女の子で、この場合は年上で男である僕が払うものと思ったのだが、それは間違いなのだろうか?

「彼氏でもない人に奢ってもらうのは、なんか、悪いから…」

特に意味のある言葉だとは思えなかったが、何故か僕は何も言えなかった。
そうしている間にまゆさんは財布から小銭を取り出し、数えてから僕に差し出す。
それを受け取らない理由を見つけられなかった僕は、素直に受け取るしかなかった。
家に帰ってからその金額を計算してみたら、几帳面なことに消費税まで含まれていた。

歩き出した彼女を追って、僕はその手の荷物にふれた。

「持ちますよ」

既に1つ持っているのだし。

「…ありがと」

彼女はそう言って、僕に荷物を預ける。
それを受け取る時に一瞬だけふれた手は普通より熱い気もしたけれど、僕はきっと平熱が高いのだと思った。

いつもと変わらない夕暮れ時。
冬の日が落ちるのは早く、もうほとんど空には残っていない。
かろうじて地平から漏れる夕日の残光と、街灯の白い光が僕を照らす。

まゆさんは空になった手を身体の後ろで組んで、僕の隣に並んだ。
その歩みに合わせるように、僕は普段よりもゆっくりと歩いた。

いつもと変わらない夕暮れ時。
しかし決定的に違うのは、隣に彼女がいることか。

(なんだか、妙な感じですね…)

身長差は頭1つ分以上。
自然と彼女を見下ろす視線。
奇妙なめぐり合わせもあったものだ。

けれど、他人と時間を共有するのも悪くない。
誰でも良いというわけではないけれど、例えばまゆさんとなら、
またこうして同じような時間を過ごしてもいいかもしれない。
そう僕は思った。

まゆさんもそう考えてくれるかどうかはわからないけれど。




2人並んで歩く。
お店を出たときにはまだ空のはじが明るかったが、いまはもうすっかり暗くなっている。
街灯が私とセイの影を地面に浮かび上がらせている。

会話らしい会話はほとんど無かった。
ただ、歩くだけ。
私の歩調に合わせて、セイがゆっくり歩いてくれているのがわかった。
彼の手には私の荷物があって。

(…優しいなぁ)

それがただの優しさなのか、それとも「特別」なのか。
全く気にならないといったら嘘になるし、できることなら彼の「特別」になりたいと願っていることは事実であって。

冬の冷たい空気と隣にセイがいるということが心地良くて、私はその考えを心の中の隅に追いやった。

ぼんやりとマンションの前まで歩いてきて、そこで私は足を止めた。
隣にいたセイも同様に足を止めた。
セイは、やっぱり夜に馴染んでいる。
夜に住んでいる人なんだ、と。

じゃあ、私は?

私は昼にも夜にも馴染めない、中途半端な人間。

「まゆさん…?」

伸びる手。
私の好きなセイの長い指。
頬にふれる。

冷たい。
熱い。

私はそれを振り払った。

「お休みなさい」

セイがどんな顔をしていたのか、わからなかった。
見ようとしなかった。

はずかしかった?

それもわからない。