#03 噫 〜胸がつまって出る嘆息〜


「っくしゅ」

くしゃみ。
ついでに鼻水。

やだな、風邪ひいたのかもしれない。
だってこの季節だと花粉症には早いし、そもそも私、花粉症じゃないし。
アレルギーなんて全く持ってない健康体。
この場合、親に感謝しなきゃいけないのかな?
あんまりしたくないけど。




そんなことを考えながら、私は商店街をぶらぶらと歩いていた。
時間は夕方。
夕飯の食材を買い求める主婦達が八百屋の先からあふれている。

(今日の特売は何かなー…)

一人暮らしの場合どうしても食材があまってしまうから、何を買うにも悩んでしまう。
例えば大根は一本買ったら多すぎるし、白菜にしてもキャベツにしても1個使い切るのは難しい。
だったらスーパーで半分とか4分の1のものを買えばいいって話だけど。

(きゅうりって意外と悪くなるの早いよね)

本日の特売品のきゅうりは1袋5本入り。
毎日サラダばっかり食べるわけにもいかないので、残念ながら却下。
仕方がないので私は少し歩いて、商店街のはずれの方にあるスーパーに向かった。

自動ドアから建物の中に入ると、中はコートを着た私には暑すぎるくらいに暖房が効いていた。
カゴを手にとって、まずは野菜のコーナーから見て回る。
今日の夕食のメニューはまだ決めていないから、とりあえずぐるっと回って安そうなものを探してみることにした。
目にとまったのはジャガイモの山。

(今日は肉じゃがでも作るか)

たまねぎはまだ家にあったはず。
にんじん、ジャガイモ、その他諸々の材料をかごに入れ、ついでにプレーンヨーグルトも入れる。
他には特に買わなければいけないものも無いので、私はそのまま会計を済ませるためにレジの列に並んだ。

(あ、れ?あの後姿…)

スーパーの袋に食材を詰めている長身の男性。
普段だったら会社帰りに奥さんに頼まれた買い物をしている会社員を思い出すのだが、今回は違った。

「…あ、セイ?」

恐る恐る声をかける。
ここにいることに違和感は無いのだが、彼の本職を知っている私としてはなんだか釈然としないものがある。

「まゆさん?」

振り返った彼は、やはり思った通りの彼だった。
片手に長ねぎがのぞいたビニール袋を持っている彼は、私の知っている彼のようでそうでない気もした。

「何してるの?」

「買い物ですけど」

そりゃそうでしょう。
聞いた私が馬鹿でした。
ここはスーパーです。

「買い物、するんだ」

「まあ一応。外食、嫌いなんで」

どうして私はいつも変な質問ばかりしてしまうんだろう。
優しいからそれを言わないだけで、彼もいい加減に呆れているかもしれない…。

特売品をめいっぱい入れたカゴを持ったおばさんにぶつかって、半分自己嫌悪に陥っていた私は現実に引き戻された。
邪魔よ、と目で訴えるおばさんに私は頭を下げて謝った。

「とりあえず、外に出ませんか?」

その彼の言葉に、私は素直に従った。
周囲に気を使っての提案だろう。
ちょうど買い物客の数もピークで、店内はかなり込み合っている。
さすがにその中で立ち話をするのは気が引ける、というか、はっきり言って迷惑だ。

その時、私にはセイが苦笑したように見えた。
もちろんそれは私の見間違いで、単なる気のせいだったという可能性のほうが高い。

呆れられているかもしれない。

一度浮かび上がった恐怖は私の中の感情を明確に浮き彫りにする。

セイに、嫌われたくない。

なんというか、そう思うことは久しぶりだった。
嫌われたらそれはそれで仕方が無いと、今まではそう思っていたから。
必要以上に友達は作らなかったし、色恋沙汰とは距離を置いていた。
嘘で固めた友情よりも本音で人を傷つけた方がマシだと、そう思っていた。
限られた私の友人達はそういうわたしの考えを知っている。

いつの間に、私はこんなに臆病になったの?

「まゆさん?どうかしましたか?」

スーパーを手でから急に黙り込んでしまった私に、彼は心配そうに声をかけた。

「あ、なんでもないから。ごめんなさい」

手をぱたぱたと振って、首も振る。
とりあえずは、この考え込むクセをどうにかする方が先かもしれない。

「そうですか?ならいいですけど」

そう言って、セイはいつものように笑った。


+++++


ところで僕は何をやっているんでしょう?

手に持ったメニューを見ながら思う。

スーパーを出た後、いつもより元気の無い彼女と一緒に何故だか僕は近くのカフェに足を運んだ。
商店街を抜けて住宅街に近い場所にあるそこは、お洒落な内装でケーキがおいしいと有名な店。
いつも女性客で一杯で、自分には無縁の場所だと思っていた。

(実際に無縁なんですけどね)

自分の職業を考えてみると、そのギャップに笑いたくなる。
僕のことを知っている人なら何と言うだろう。

「コーヒーとレアチーズケーキを」

「じゃあ紅茶と洋梨のタルトで」

ちなみに前者がまゆさんで、僕は後者。

(まゆさんはコーヒー派なんですか…)

別に知っていたからどうなるものでもないけれど、僕は彼女の新しい一面を知ることができたようだ。

(で、僕は何をやっているんでしょう)

そもそもどうして彼女を誘ったのか。
それがわからない。

放っておけなかった?

では、それは何故だろう。

(ほんと、何をやっているんだか…)

自分が情けないような気がして、彼女に気付かれないように僕は小さく息をついた。




窓際の席について荷物を隣の椅子においてから、私はメニューに目を落とした。

(まさかセイと一緒に来ることになるなんてね)

2人で入ったのは、女性誌に紹介されたこともあるかわいいカフェ。
なんというか、彼がここに居るのか不思議な感じ。
このお店の前で立ち止まって「入りませんか?」ってセイが言った時、私は驚いた。
でもそれと同時に、すごく嬉しかった。

「コーヒーとレアチーズケーキを」

「じゃあ紅茶と洋梨のタルトで」

頼んでから失敗したと思った。
いつも喫茶店ではコーヒーを頼んでいるから、今日も思わずコーヒーを頼んでしまった。
ここは紅茶がおいしいと聞いていたから一度頼んでみようと思っていたのに。

(セイは紅茶が好きなんだ)

店員にメニューを渡しているセイを見ながら、私はそのことを頭の片隅に留めておいた。

(指、長いなぁ…)

彼がここに居ることは不思議だけれども、ティーカップを傾ける仕草は結構セイに似合うかもしれない。

なんてことを考えていたらセイと目が合った。
何かを見咎められたような気がして、と言うよりなんだか恥ずかしくて、私は目をそらした。
そうしたら椅子に置かれたスーパーの袋が目に入って、結局全部がアンバランスだと思い直さなくてはならなかった。

(私たちってどういう風に見えてるんだろ)

生活感ただよう買い物袋があるとはいえ、まさか夫婦には見えないだろう。
さらに言わせてもらえば、恋人同士にも見えないと思う。
いくらなんでも互いにスーパーの袋(しかも長ねぎが出てる)を携えてデートはしない。
そんなカップル、嫌だ。

では、友人?

実際に私とセイの関係は「単なる知り合い」程度だから、まあそれでも良いかもしれない。
できれば「単なる知り合い」から少しは格上げされたいものだけど。

だが当面の問題は、この沈黙。




店員にメニューを返してからまゆさんの方に目をやると、こちらを見ていた彼女と目があった。
そして…

(…何か嫌われるようなこと、しましたっけ)

思いっきり目をそらされた僕は、自分の行動を振り返ってみる。
だが彼女を傷つけるようなことや怒られるようなこと、そんなことをした覚えはない。

わけがわからない。

ひとつ、わかることは、まゆさんが僕から目をそらした瞬間を僕が少なからずショックに思ったということだ。

(人にはあまり嫌われたくないものですね)

居ても居なくても関係ないような人間から何と思われても構わないと、僕に昔言った人が居たが、僕はあまりその意見に賛成はできない。
だからといって誰からも好かれたいとも思わないが、嫌われたくはないと思う。
しかし「いい人」になりたいわけでもなくて。

まあ、こんな仕事をしていたら好いてくれる人のほうがめずらしい。

もしかしたら、僕は期待していたんだろうか?




沈黙は心地良いものだと思っていたけれど。