FROZEN BLOOM


「ねぇ、悠斗。世間はクリスマスだってのに、なぁんで私はこんなトコで寒い思いをしなくちゃならないのかしら」

『いやぁ、怨霊悪霊の類は休みじゃないからねぇ』

「悪魔系のやつらはきっと休みよ」

『かもね。それじゃ、頑張って』

「ちょっ、悠斗!」

一方的に切られた携帯電話を睨み付け、神城真幸は額に青スジを浮かべた。
今頃コタツに入ってぬくぬくとしているであろう電話の相手、八嶋悠斗の顔が脳裡に浮かぶ。

(呪いをかける?いや駄目、逆に返される)

冬の、身を切るような風が吹きつけ、真幸は身をちぢこめた。
かじかむ手で財布からコインを出し、それで自販機でホットコーヒーを買う。

(返された呪いを再び返す……できるかしら)

呪いに関しては向こうの方が一枚以上、上手。
下手をしてこちらが害を被るのは割に合わない。

とりあえず。
帰ったら、何か投げつけてやろう。
ただし自分の携帯以外で。
そうやってこの前、一台壊したばかりだから。

ちなみに今使っている携帯も、そうやって壊して悠斗に買わせた物なのだが、そんなことなど真幸は都合良く忘れ去っていた。



ぬるくなってきた缶コーヒーを握り締めながら、細い路地を歩いていた。
時刻は草木も眠る丑三つ時、にはまだ早い、日付が変わる前あたり。
そんなことはどうでも良いと言わんばかりに、早足で通り抜けていく。
寒い思いをしてまで、カップルだらけの街中に居たくないのだ。

(別に彼氏が欲しいってわけでもないんだけどね)

周囲が恋人同士ばかりだと、妙に寒い心持になる。
特に、こんな仕事の夜には。

「パートナーでも居れば良いんだけど」

そのうち、今度仕事の報告で本部に行くついでにでも、申請してみようかと考える。

(男でも女でも良いけど、やっぱ同年代のが良いわね)

相方と、あまり年が離れているのも考え物である。
こんな仕事をしていても、真幸の本業は学生。
今日は冬休みなので私服だが、普段は制服を着ていることも甥。
年上で頼れるということは良いが、十も二十も上の男性と組んだ日には、援助交際と間違われるのがオチである。

工事中通行禁止の作を、ひょいとかるく乗り越える。
ブランド物のマフラーを風になびかせながら、現れた警備員のおじさんには「お疲れ様」と声をかけたら、向こうも片手をあげて「お疲れ様です」と返してきた。
彼は、現場に一般人を近づけないようにするため、協会から派遣されている人員だろう。

奥まった所にあったのは、小さな公園。
ここが今回の仕事場、すなわち事件現場である。

「たしかに霊気の濃度は普通よりも高いみたいだけど……」

それほど事件が起こりそうな、つまるところ霊現象が起こりそうな霊気の波動は感じられない。
どこにでもありそうな、とまではいかないが、普段なら気にも留めない程度のものである。
とはいえ。
昼と夜では、「世界」が変わることも事実。

真幸はクシャクシャになったファックス用紙をポケットから引っ張り出す。
協会から緊急だと優先的に回された依頼概要である。
ちなみに何故このような状態かと言うと、仕事の日付がクリスマスイブだということに怒り狂い、一度ゴミ箱につっこんだからである。

十二月に入ってから、この小さな公園で立て続けに事件が起こっている。
死者一名、肺炎等で入院した者四名、軽い風邪ですんだ者三名。
それぞれに、あきらかに霊障と思える「症状」をも訴えている。
ここをたまり場にしていた若者達が主な被害者のようだが、中には会社員も居る。
単純に計算すれば、三日に一度のペースで何らかの事件が起こっていることになるか。
これはかなりのハイペースと言えるだろう。

「どーでも良いから早く終わらせたいわ……」

紙を細かく千切り、ゴミ箱にぱらぱらとばら撒く、
それから真幸は両手をポケットに入れた。
中に入っているホッカイロが温かく、それが唯一の救いだと言わんばかりに、盛大に溜息を吐いた。




午前一時。

「うー、そろそろ始まってくれないと、こっちが風邪引くわ」

ブランコに座ってつぶやく。
公園の四隅に簡単な結界を張り終えた真幸は暇を持て余していた。
白い息を吐き出した真幸の脇を、一陣の風が抜けていく。
冷たく、頬をくすぐる。

目つきが変わる。
スイッチが入った、ぱちんと。

「さて、と。アンタは何がしたかったの?」

真幸は隣のブランコに自分と同じように座る男性に声をかけた。
うつむいたままの彼は、なにも答えなかった。
その代わり、周囲には青白い炎が揺らめき始め、くるくるとまわって2人を取り囲む。

「……鬼火か」

先ほどまでとは、打って変わった霊気の濃度。
その波動も禍々しい。
まとわりつく鬼火を、真幸は腕を振ってはじき返した。

「ウザいわねぇ!」

まずすることは、ここに吹き込んでくる瘴気を浄化すること。
結界によって外界と遮断されたこの公園は、今は真幸の支配領域である。

絡まり縺れ、来たるは熱、斯く進め

真幸の、能力者としての「眼」はくまなく辺りを探る。
瘴気の噴出し口は、何処だ?

(……みつけた)

ちょうど砂場の真上に、ぽっかりと開いた黒い「穴」がみえる。
空中にある穴、としか形容できないそれの周囲には、ちらちらと鬼火が揺らめいていて、悪意の塊がそこから噴出していた。

集え

腕から、指の先から、白い糸のようなものが伸びる。
真幸の意思を受けて「糸」は絡まりあい、穴に向かって収束していく。
噴出す闇を掻い潜り、まるで傷口を縫い合わせるかのように「穴」を塞いでいく。

問答無用で除霊をするならば、なにもわざわざこんなことをする必要は無い。
陰気ごと、無理やりにでも「彼」を滅ぼしてしまえば良いのだ。
実際、真幸はそちらの方が断然得意だ。
しかしそれでは何の解決にもならない。

……散れ

言葉と共に、漂っていた鬼火が四方に散っていく。
真幸は胸の前で本を掲げ開くような形で両手をあげた。
その掌の上へ、意識集中させる。

母なる腕に抱かれよ、闇に集いしもの、導け、遥けし彼の地

淡く、燐光が真幸を取り囲んでいく。
つむぎだされた言の葉が風に乗って流れる。
真幸の両手の上の「気」は徐々に高まり、膨れ上がっていく。

一瞬、ぴたりと風が止む。

還れ、在るべき場所へ

光が、溢れる。
ビー玉大に細かくなった光の欠片たちは、ゆっくりと空へと上っていく。
まるで雪が逆に降っているよう。
この場に溜まった陰気を、人々の憎しみや悲しみを、昇華させたのだ。

暗いヴェールが取り払われ、ようやく「彼」の青白い顔が見える。
その表情は悲しげで、寂しそうで。

「……アンタも、引きずり込まれたのね」

真幸の言葉に、「彼」は小さく首をかしげた。




……冥府の門、夢の幻、灰燼に帰すは胡蝶の舞

ひらひらと。
目の前をちらつく黒い花びらを、真幸は右手で握りつぶす。
ぐしゃりと嫌な音がして、手を開くと灰色の粉が零れ落ちた。
それもすぐに虚空へと消える。

泥だらけの左手の上にあるのは、同じように泥だらけの小さな箱。
真幸はゴシゴシとこすって汚れを落とそうとするが、それは上手くいかなかった。

「これ、どうして欲しい?」

『……海に……』




「寒い寒い寒いー!」

タクシーから降りた真幸は、小走りでマンションのエレベーターに駆け込んだ。
押したボタンは自信の部屋のある七階、ではなく最上階。
軽い振動と共にエレベーターは上昇していく。

「あーもう、タクシー代って嵩むんだから」

深夜の料金割増時間帯。
財布から飛んでいった紙幣を考えると泣きたくなる。
だがしかし、とっくに終電も終わった時間では仕方ない。
これなら悠斗に迎えに来てもらえば良かったと思ってみる。

最上階の廊下に降り立ち、真幸はなるべく音を立てないように歩く。
深夜のマンションではヒールの音も高く響いてしまうのだ。
一番奥まで進み、「八嶋」という表札のかかったドアの前で立ち止まり、インターホンを押そうとして、やめる。
かわりにポケットの中からキーホルダーを取り出し、そこに付けられた何種類かある鍵の中から一つを選び出して鍵穴に差し込んだ。

そっとドアを開け、静かにブーツを脱ぐ。
足音を立てないように廊下を進むと、リビングの方から明かりが漏れていた。

(……やっぱ、殴ろうかしら)

予想通りというべきか。
リビングのコタツでは、悠斗がクッションを枕にして穏やかな寝息を立てている。
真幸はぷるぷると震える手を握り締めた。
と、自分の手をじっと見つめてみる。

(良いこと、思いついた)

にんまりと笑みを浮かべた真幸は、そろそろと悠斗へと手を伸ばす。
そして、ゆるめられた悠斗のシャツの首元に、冷え切った片手を思いっきり突っ込んだ。

「……うをっ、って、真幸!?」

「あら、起こした?」

うふふ、と可愛らしく笑いながらも、片手は悠斗の首から離さない。
それどころか更に一層力を込めてやる。

「ま、真幸……ちょっと苦しいんだけど。ついでに冷たい」

「それだけ外が寒いってことよ。わかる?」

「……スイマセン」

心なしか引きつった悠斗の顔を見てようやく満足した真幸は、ユウトを追い出してコタツにもぐりこんだ。

「あー、あったかい。幸せ」

安い幸せだとは思うが、とりあえずは。
冷え切った足先から、じんわりと温まってくる。
こうしていると、春になるまで暖房の効いた家の中で過ごしたいと思ってしまう。

「上着、脱ぎなよ。エアコンの温度上げるから」

「ありがと」

言って、コタツから出ずに上着を脱ぎ、ついでにマフラーも丸めて悠斗に向かって投げつけた。
悠斗はといえば、なにやら諦めにも似た表情でそれらを両手で上手にキャッチする。

「ちゃんとハンガーにかけてね。型崩れするとイヤだから」

彼の背中が寂しげに見えるのは、きっと気のせいだ。
気のせいだ、絶対。

「ねぇ、真幸。コレ、何だ?」

観ると、悠斗はコートのポケットから落ちた小さな箱を持っていた。
それは先ほど、真幸が公園で見つけたもの。

「んー、今回の事件の核、かしら。戻しておいてよ。今度、海に持っていって流すんだから」

「海に?」

勝手人中身を見ている悠斗を軽く睨む。

「そ、海に。その箱の中身が彼をこの世に縛り付けていたの」

公園の彼が、死してなお気にかけていたもの。
それは彼が恋人に贈るはずだった婚約指輪。
けれどその日、恋人は来なかった。
そうして彼は失意のうちに自ら命を絶った。

ありがちと言えば、ありがちな話。
だからこそ悲しい。

「でもね、彼が自殺したのは悪意の波動に影響されたからよ」

「タチの悪い霊道か……。最近多いな、そういうの」

箱をポケットに戻した悠斗は、コートとマフラーを持ってリビングを出て行く。
それを真幸は横目で見て、それからリモコンを取ってテレビの電源を入れた。
無駄に大きな画面には、オリコンヒットチャート上位曲のプロモーションビデオが映し出された。
そうしているうちに、コートを置いた悠斗が戻ってくる。

「それで、その霊道はどうしたんだ?」

「えー?一応塞いできたけど、またどこかに似たような道が出来るかもしれないわね。そういう流れが出来てるみたいだし……って、それ何?」

台所から現れた悠斗は、なにやら白い箱を持っていた。

「クリスマスケーキ」

「は?」

「今日、クリスマスイブだろ」

そんなとは知っている。
悠斗の顔と白い箱と、真幸は交互に見やる。

「わたぢが食べて良いわけ?」

「もちろん」

悠斗は真幸の目の前に箱を置き、ゆっくりとふたを開ける。
出てきたのは、Merry Christmas と書かれたチョコレートのプレートと、砂糖菓子のサンタクロース、そして沢山のイチゴが乗ったショートケーキ。
どうして、この男はこういったことだけはきちんとしているのか。
そんなことを考えつつ、真幸はイチゴをひとつ摘まんで口に放り込む。

「悠斗、フォークちょうだい」

「はいはい、お嬢様。一人食べるの?」

「悪い?」

「いえいえ、それは君のためのケーキですから。でも太るよ」

「何か言った?」

受け取ったフォークをケーキに突き刺す。
掬い取った生クリームが口に甘い。

「……幸せ」

「そりゃ良かった」

皮肉ではなく、悠斗が笑った。
やはり、安い幸せだ。

「で、これがクリスマスプレゼント」

キレイにラッピングされた箱を手渡される。
ちょうど片手に乗るサイズだ。
真幸は口にくわえていたフォークを置いてから、悠斗にたずねた。

「開けて良い?」

頷く悠斗。
リボンをほどき、包装紙を破かぬよう、そっとシールをはがす。

「……可愛い」

小さなダイヤのついた、シルバーのハートのネックレス。
真幸のお気に入りのブランドの、冬の新作だ。
ちなみに、そこそこ値の張るシロモノでもある。

「相変わらず、羽振りの良い」

「まぁ、それなりにね。素直に喜びなよ」

「喜んでるって。……つけて?」

箱ごとネックレスを渡し、真幸は悠斗へ背を向けた。
髪を上げると、細い鎖が首を周る。
胸元に納まったオープンハートに、真幸は満足げだ。

「はい。ところで、真幸から俺にプレゼントは無いのか?」

背後からかけられる声。
言われて、真幸は思わず沈黙した。
何も考えていなかった、とは、口が裂けても言えない。

「えーと……」

「えーと?」

顔は見ない。
けれど、悠斗が面白そうに笑っているであろうことは、その声から知れる。
それが気に食わない。

「悠斗」

くるりと、身体をを百八十度回転させる。
意を決したように。

「何?」

ええい、ままよ。
そんな感じだ。

「…………」

「…………」

「……何よ」

一杯食わされた。
悠斗は、そんな顔をしていた。
してやったり。

「今のって」

キス。
子供のように、頬に寄せた。

「感謝しなさい。これ以上はお金取るからね」

「随分、高いね」

「文句ある?」

「ありません」

そして真幸は再びケーキの攻略に取り掛かる。
生クリームが、甘い。

「真幸、無理して食べなくても……」

「いいの、ほっといて」

ブラックコーヒーで流し込む。
苦味と甘味のハーモニーが、なんとも言えず絶妙だった。


「来年は一緒に初詣でも行こうか」

「イヤ。寒いもん」

聖夜に響く鐘の音は遠く。