THE DAY OF DAYS.
目の前で、ちょこまかちょこまか影が飛び交う。
はっきり言って、めちゃくちゃウザい。
山吹色っぽい毛並みに、体長は五十センチメートル程度、野弧の群れだ。
数は多いが、一匹一匹の妖魔としてのレベルは高くない。
コイツら、見た目は、まんま狐のくせに、表情だけはやけに人間らしい。
こっちを見てはニヤリと笑うもんだから、なんだか無性に腹が立つ。
こういうヤツラは、まず足を止めるんだ。
「
六架けの橋立、誰ぞ往かん、留める影……禁糸之虜!」
地面についた両の掌、そこから網のように白い糸がバァッと広がる。
カヅキから教わった中では初歩中の初歩の術だが、俺でもかなりの広範囲に効果を及ぼせる。
その分、強力な相手には効かなかったりするが、野弧程度なら充分に捕まえられるはずだ。
広がった白糸は、地面を、壁を這うようにして野弧たちに迫る。
飛び跳ねて逃れようとするものも、伸びた触手のような糸にその身を絡め取られる。
「へへっ、大漁大漁」
投網を引き上げる要領で、野弧を絡めた糸を手元に手繰り寄せる。
「カヅキー、終わったぜー」
俺は天を振り仰ぐ。
今回、カヅキは文字通り「高みの見物」で、何故か電信柱の上に陣取っていた。
わざわざそんな所に居る意味は無いと思うんだが。
あれか、ナントカと煙は高い所が好きってヤツ。
……いや、後が怖いから考えるのもやめておこう。
「カヅキ、これ、どうするんだ?」
ひらりひらりと、重力を無視してカヅキは上空から降りてくる。
まぁ、端から実体が無いのだから、今更重力も何も無いだろうが。
そんなカヅキに、俺は捕らえた野弧の群れの処遇を尋ねた。
すると。
「そんなもの、私の知ったことか」
冷たく切って捨てられた。
いくらなんでも、無関心すぎるだろうよ。
「え、でも……」
「別に私が野弧を捕らえろと言ったわけではない。私には関係の無い話だ」
……そりゃ、確かにそうだ。
ごもっとも。
偶々、この辺りに狐の群れが現れるとウワサを聞いて、それを確かめる為にやって来た。
別に誰かから相談を受けたわけでもなく、ましてや協会から指示があったわけでもない。
俺が勝手に動いただけだ。
カヅキにはっきりと言われ、正直俺は頭を抱えた。
俺が甘かったってこと。
自分の意思で動くのなら、全ての判断は自分で下さなければならない。
当たり前のことだ。
だから、コイツら野弧の処遇は俺が決めなくてはならない。
災厄の時は、目に付く妖魔、片っ端から倒せば良かった。
表立って行動してるのは、人に害をなすものばかりだったからだ。
でも一時期よりも情勢が落ち着いた今、ヤツラの行動も沈静化しつつある。
一部には、相変わらず過激なのも居るけれど。
「滅するか封印するか。己の使い魔にするも良し、貴様の好きにしろ」
そう言われてもなぁ……。
滅ぼしてしまうほど、この野弧たちが悪さをしたという話、例えば誰かを取り殺したとかいった類の話は聞いていない。
封印するといっても、ちゃんとした封印術なんて使えないし、教わってもいない。
ましてや使い魔にするなんて論外も良いところだ。
コイツらを飼い慣らすなんて面倒だし、その自信も無い。
それに、使い魔なんてガラじゃない。
「どうするんだ?」
足元で、糸に括られながら俺を見上げている野弧たち。
やっぱり表情があるってのはやっかいだ。
目は口以上にモノを言う。
「……伏見の神に預けるんじゃ、駄目か?」
俺の答えに、カヅキは苦虫を噛み潰したような顔をした。
理由はわからないが、何かカヅキの癇に障ったのかもしれない。
けれど、今の俺にはコレ以上の選択は出来そうになかった。
京の洛外にある伏見稲荷大社は、全国におよそ四万社あるという稲荷神社の総本山。
祭神である稲荷明神は五穀豊穣を司る神だが、その眷属が狐だ。
だから俺は伏見の神に野弧たちを預けることにした。
ヤツラが立派な伏見の眷族となることを祈って。
「俺、間違ったかな……?」
帰路、俺は尋ねた。
延々と続く参道の鳥居をくぐり抜け、先に見えるカヅキの背を追いながら。
此処に来るまでの間、カヅキは何も言わず、ただ、俺のすることを見守ってくれていた。
何も言われないことは、この時は怖くなかった。
けれど心の中に、モヤモヤとした不安が残る。
「甘いとは思う。だが……決断とは、得てして独りで下すものだ。そうして出た答えは何人にも侵すことは出来ぬ。いかに親しき人間であろうとも、な」
甘い、か。
その意見は耳に痛い。
そう言うカヅキの気持ちも分からなくないから。
封印もせず滅ぼしもせずに解放したアイツらが、伏見の眷属とならずに、今後俺に牙を剥く可能性は多いにある。
そうなれば、完全に自業自得だ。
でも、だったら、俺はどうすればよかった?
その答えをカヅキに請うことは出来ない。
これは俺自身の問題だから。
「悩んでも構わんよ。だが迷うな。それが正しいか否か、それはヒトが決めるものではないし、無論私にもわからん」
滔々と語っていたカヅキが足を止める。
そして、俺の方を振り返った。
いつも通りの冷めた表情で、そこには先ほどの苦々しい色は無い。
俺は少し安心した。
怒られることより、カヅキに軽蔑される方がイヤだ。
「……カヅキは、迷うこととか無いのかよ」
「そんな暇、有りはせん」
どちらかと言えば投げ遣りな風にカヅキは言う。
朱色の鳥居の下、純白の装束が映える。
その白い手と顔も、長い髪も。
「だがな、今回のことに限って言えば、大和、貴様は己に出来得る範囲で最良の選択をしたと、私はそう思うぞ」
クチビルの右側にだけ笑みを乗せるカヅキ。
これは、つまり。
もしかしたら、初めてかもしれない。
この微妙な言い回しのセリフを、褒め言葉だと取って良いのなら。