DAY IN AND DAY OUT.


逢魔が時を過ぎ、この街は顔を変える。
昼の顔から、夜の顔へと。其処此処の暗がりには怪の者たちが潜み、こちら側の人間を狙っている。
そんなヤツラを狩るのが俺の仕事。
と言っても本業は別にあって、これはバイトのようなもんだ。

二年前の災厄の時、深刻な人手不足に悩む協会の京都支部に、俺は予備戦力としてスカウトされた。
あくまで協力者の立場であって、正式に協会に所属しているわけではない。
本当に緊急時にだけ招集・拘束されるだけで、後はほとんど自由行動。
フリーの能力者だ。

そんな感じの俺。
大和稔、二十歳。
本業は学生で、顔とスタイルを活かした副業その一はメンズファッション誌の読者モデル。
能力者としての仕事は副業その二だけれど、このところ生活に占める割合が増えつつある。
ついでに言うと彼女募集中。
先週別れたばっかりなんだ。

ところで、実は、冷静にこんなことを語っている場合ではなかったりする。

「カヅキ、マジ無理! 後生だからどーにかしてくれよッ!」

尻餅をついた状態で、ジリジリと後ずさる。
我ながら超カッコ悪い。

目の前には、身の丈一メートルはあろうかという大蜘蛛が五匹。
土蜘蛛と言う地霊の一種で、多くは群れで行動する。
と、知識だけはある。しかし実際に相手にするのとでは、全く話が違ってくるのだ。

「巫山戯るな。貴様、日本男児なら己の力でどうにかしてみろ」

「無理なもんは無理だ!」

そうでなくたって、俺は虫が苦手なんだ。
特に蜘蛛は、ガキの頃に蜘蛛の子がわらわらと出てくるシーンを見て、以来死ぬほど嫌いになった。
こんな巨大な蜘蛛と対面して、逃げ出さなかった自分をむしろ褒めたいくらいだ。
エライぞ、俺。

「本当に使えないヤツだ。見損なったぞ」

「相手が普通の相手なら、もっと上手くやるっつーの!」

蜘蛛が俺に向かって白く生臭い糸を吐いた。
細い大量の糸は両手両足に絡みつき、俺の動きを抑え込む。

「うわぁぁっ、喰われるっ!」

「安心しろ。土蜘蛛は人間は喰わん。精気を吸い取るだけだ。まぁ、後にはミイラが残るがな」

どこをどうしたら安心できるって言うんだ。
そう叫びたかったが、カヅキはこっちにはまるで無関心そうで、自分の毛先を指に巻きつけ遊んでいた。

寄るな触るなと暴れてみるが、糸が身体に食い込んで痛みだけが増す。
その間にも巨大な蜘蛛たちは俺に近付いていて。

「カヅキィ!」

俺は、情けないが半ば涙声でカヅキの名を叫んだ。
蜘蛛はほとんど俺に乗っかっているような状態で、涎だか体液だかわからない、気持ち悪い液体が滴り落ちてくる。

「鬼道白之段弐拾参式・散華光矢」

「えぇっと、何だ何だっけ……あぁ!」

カヅキに言われ、俺は必死で真っ白な頭の隅から咒を思い出す。

……猛き刃、蒼天の響き、翔ける旋律……落ちろ、散華光矢!

無数の光の十字架が空中に現れる。
そして。

「あ、やべ!」

ソレらは地上に向かって降ってくる。
当然、土蜘蛛の下に居る俺にも向かってくるわけで。
再び真っ白になった俺の頭では、それを回避する有効な手立てを何一つ思い浮かべることは出来ず。
仮に思い付いたとしても、それを実行に移すことが出来たかは、また別の話だったりするが。

俺に出来たのは、ただ目をつぶることだけだった。

ヒュッ……

耳元で響く、空を切る音。
何かが燃えるニオイ。
灰のような物が振って来る感触。

周囲が静かになってから、俺はようやく目を開けることが出来た。

「愚か者が」

「うぉわっ!」

目を開いてすぐ其処には、カヅキの端整な顔があった。
睫毛は長いし色は白いし、とてつもなく綺麗な顔ではあるのだが、いくらなんでも心臓に悪い。

「守りの手段を放棄してどうする。未熟者」

自分の身体を見てみると、淡い燐光を放っていて傷一つ無い。
カヅキの防御術のおかげだと、すぐにわかった。
シャツに開いた穴は、さっきの涎だか体液だかわからない謎の液体のせいだ。

俺は起き上がって、アスファルトの上で正座する。
さっきまで俺のからだの自由を奪っていた糸も、今は跡形も無く消し飛んでいた。

「……スミマセン」

こうなると、俺は謝るしかない。
カヅキは、怒らせると後が怖いのだ。
勿論、怒っている最中も怖い。

「貴様も能力者の端くれならば、常に冷静でいることを心がけろ。冷静さを欠けば途端に術の精度は落ちる。術が発動しなかったらどうするのだ。待つものは『死』だぞ。今とて、咒があと数秒遅れていれば貴様は死んでいたかもしれん」

カヅキの言うことはもっともだ。
此処は銘など意味の無い、完全な実力主義の世界。
力が足りなければ、それを補うのは自分の命だ。
カヅキの言葉に静かな怒りを感じた。

「蜘蛛だろうが鬼だろうが、本質は変わらない。己の視覚、五感に頼り過ぎるな、もっと能力者の感覚を使え。そうすれば真に恐ろしいモノも見えてくるはずだ。蜘蛛など、恐れるに足らん」

周囲には、先ほどまで土蜘蛛だった残骸が散らばっている。
それも、見る間に風化して、虚空へと消えていく。

俺が倒した、とは言えない。
確かに術を使ったのは俺だが、俺一人では確実に死んでいた。

実戦経験が少なすぎる。
カヅキはいつも俺にそう言う。
それに対して、俺は全く反論できない。
災厄の時も、俺は大した敵と遭遇することなく終わった。
運が良かったと皆が言う。

「立て。攻撃は最大の防御だ。だが自分を巻き込むな。自分を巻き込んでいるようでは、護るものも護れなくなる。わかるな?」

「……わかるさ、カヅキ。俺は、もっと強くなる」

俺にだって、譲れないものがある。
その為には、こんな所で立ち止まってなんか居られない。

立ち上がって、ジーパンに付いたホコリを叩き落す。
その間もカヅキの玲瓏とした声は俺の耳を打つ。

「実戦に勝る訓練は無い。だが、死んだらそこで終わりだ。彼我の力量差を見誤るな。今は、勝つことよりも負けないことを考えろ」

相手の力量を見誤るな。
己の力量を量り違えるな。
これもまた、カヅキが俺に口を酸っぱくして言うことだ。

今回のことも、カヅキは最初から手を出そうとしなかった。
それはつまり、俺一人で充分対処出来るレベルの敵だったということ。
本当にどうしようもない相手、逆立ちしても俺が敵わないような相手だったら、カヅキが相手をするか、そうでなければ逃げるよう指示するはずだ。

結局のところ、自分はまだまだ「ひよっこ」だということを認識させられる。

「……カヅキ師匠、ありがとうございます」

言って、頭を下げる。

「気色悪い奴。ゆっくり休めよ、大和」

顔を上げると、既に其処にカヅキの姿は無かった。
それと同時に、展開していた結界も、音も無く消える。

遠くで車のクラクションの音が聞こえる。
街は平穏な時間を取り戻していた。

夜明け前だと、肌で感じる。
もうすぐ電車の始発も動き出すだろうが、俺は家までジョギングするつもりで走りだした。