St.Valentine’s Mishap


二月十四日。
268年頃殉教した司祭、聖バレンタインの記念日。
愛するひとに贈り物をする日。
製菓会社の陰謀により日本ではチョコレートを贈る日。

今時の女の子は365日いつだって必死なのだけれど。


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晃や唯が入学してくる前、真幸がまだ高校二年生の頃。

バレンタイン前日の昼休み、真幸は下級生連名の手紙によって校舎裏に呼び出された。
普段は人気の全く無い場所だが、この時期だけは人気スポットに早変わりする。
それなりに生徒数の多いこの学校では、いくら敷地が広くても二人っきりになれる場所はそう多くは無い。
となると、必然的に何組かがエンカウントすることになる。
けれどこの日は偶々なのか、それともそこにたむろする女生徒達の熱気に押されたのか。
真幸を呼び出した彼女達の他に、カップルは見られなかった。

(なんだ、つまんない)

実は脅しのタネが落ちていないかと期待していたのだが。

だがそんなこととは関係なく、真幸は機嫌が良かった。
何故か。
それはバレンタインだから。

「「真幸先輩!!」」

「はぁい」

片手を挙げて彼女達に応じると、さらにそこから黄色い声が生じる。
男に騒がれても嬉しくないが、可愛い女の子達なら大歓迎だ。
彼女達はそれぞれに小さな紙袋や箱などを持っていて、示し合わせたかのように同じタイミングで真幸に差し出してきた。

「「これ受け取ってください!!」」

科白まで同じだった。

「ありがとう」

こういう時、真幸の笑顔は三割増。
一人一人にお礼を言いながら受け取る。
中には大きな紙袋を用意してくれていた少女も居て、真幸はそれも有り難く頂いて、落としそうになったプレゼントはその中に入れた。

「ホワイトデーにはちゃんとお返しするから、ね」

そう真幸が言うと、少女たちは嬉しそうに笑う。
それを見た真幸も幸せな気分であった。

「あの、先輩。ちょっとお聞きしたいコトがあるんですけど……」

「なぁに?」

小柄でおっとりとした感じの少女が、おずおずと真幸に声をかける。

「よく効く恋のおまじないって、ありますか?」

俯いてぼそぼそとしゃべるので聞き取りにくかったが、言いたい事はちゃんと聞き取れた。
見ると、周りの少女達も興味津々といった面持ちで真幸を囲んでいる。

(ナルホド、こっちが本題か)

つまり彼女達には当然ながら真幸以外に本命が居て、その彼に振り向いてもらう方法を真幸に教えてもらいたいという下心があったわけだ。
別にそれでも真幸としては構わないのだが。

「おまじない、ねぇ……」

問題は「恋のおまじない」などというファンシーな術を真幸が持ち合わせていないことだった。

「なんていうか、そういうもので他人の気持ちは変えられないと思う」

実際には人を操ったり暗示をかける術というのは存在するし、真幸も扱える。
だがそれらを使うことは、人間としてやってはいけないと思っている。

「申し訳ないんだけど……」

残念そうな少女達の視線が真幸に突き刺さる。

(嗚呼、視線がイタイ……)

真幸としても、彼女達の期待には応えたいところなのだが。
しばらく沈黙してから、真幸は再度口を開いた。

「えぇと、相手によっては裏情報とか教えてあげられるけど」

少女達の瞳が輝くのが見えた。


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「一組の高柳はね、アイツ、普段平気な顔してるけど甘いモノ大っ嫌いなのよ。去年のバレンタインの時もチョコは影でコッソリ捨ててたから、何か別なモノにしないと受け取って貰えないでしょうね」

真幸を囲んだ少女たちは一心に聞き入っている。
みんな、片手にペン、片手に生徒手帳のポーズだ。

「あとは四組の水谷か。コイツの場合、手作りはポイント高いと思う。お昼とかいっつもパンだし、特に家庭的な雰囲気に弱いの」

「あの、三年の芳川先輩は……」

端の方から声が上がる。

「芳川先輩? ああ、あの人はブランドに弱いわよ。特にG社のチョコが好きらしくて、何個でもイケるって話。あとは見た目重視らしいからラッピングは派手に。こんなところで良いかしら?」

「「ハイ!! 真幸先輩、ありがとうございました!!」」

昼休み終了を告げるチャイムを聞きながら、少女達は校舎の中へと走って行く。
それを見送りながら、真幸は最後に残った一人の少女に声をかける。

「アナタは行かなくていいの?」

「あの、先輩……」

話しにくそうに、彼女は指の先を忙しなくいじっている。

「どうしたの?」

黙ったままの彼女に、真幸は軽く溜息を吐く。

「場所、移動しよう?」

そう言って彼女の手を引く。
校舎から死角になる場所を探している間に、真幸はこの少女の名前を思い出した。

「早川恵さん、だっけ?」

「……はい」

名前を言い当てたところで、ようやく返事が返ってきた。

「早川さんは、誰か好きな人とか居るの?」

こくん、と彼女は小さく頷く。

この時間は使われていない更衣室の脇にあるベンチに腰を下ろす。
校舎からは更衣室の陰になっているし、冷たい風もそれによって遮られている。

「みんなの前では言いにくい相手?」

「あの、先輩はおまじないで他人の気持ちは変えられないって……」

「ん? あぁ、そうね。おまじないっていうのは、他人をどうこうするものじゃなくて、自分の為のもの、ある種の自己暗示みたいなものだから。それが何か?」

「……こういうのって、全部ウソなんですか?」

泣きそうな顔で差し出された、古めかしい一冊の本。
カビ臭く、「いかにも」といった風情だ。

「見せてもらっても、良い?」

一応の断りを入れてから、真幸は表紙をめくった。
中味は薬草やら胡散臭い効用の薬の作り方だとか、いわゆる魔女の薬事典であった。
その中から、ピンクの付箋紙の貼られた項をめくる。

「は、ん……」

そこに書かれていたのは「好きな人が振り向いてくれる薬」、所謂「惚れ薬」だった。
あまりに少女らしい発想に、真幸は苦笑した。
一体何処から調達すれば良いのか不明な材料ばかりが並んでいる。
まさかその調達先を真幸に尋ねるつもりだったのだろうか。

「試したコト無いからウソかどうかわからないけど……貴女は薬のせいで自分を好きになってもらって、嬉しい?」

「……でも、私のコトなんか知らないだろうし」

「自分で自分をアピールしなきゃ駄目よ。世界中で自分のコトを一番知っているのは、自分以外居ないんだから」

真幸は本を閉じて膝の上に乗せた。

「何処でこんな本を手に入れたの?」

「……駅裏の古本屋さんで」

そんなトコロでこんなモノを売っていて良いものか。
ここで頭を抱えても仕方無いので、そのままでいたが。

真偽の程はわからないと言ったが、真幸の目から見て、本にはある程度の真実が含まれている。
現実に「魔術書」といったものは存在するし、真幸も目にしたことはある。
ただその原本は厳重に保管されていて、普通は一般人の目に留まるものではない。
しかし何かの拍子にその写本が外に流出することは、大いに有り得る話だ。

「で、早川さんはどうするの? まだ惚れ薬を作ってみる気?」

「…………」

「まぁ、私に出来ることなら協力はするけど」

「……薬はやめときます」

「……それが良いと思う」

「はい」

真幸は何時でも女の子の味方だ。

「あの、先輩……?」

「何?」

語尾がどんどん小さくなって聞き取れない。
真幸が怪訝に聞き返すと、彼女は一度大きく息を吸い込んで、吐いた。

「八嶋先生って、どんなプレゼントしたら良いですか……っ」

「………………………………はい?」


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そしてバレンタイン当日の夜。
中々に大量なチョコを抱えた悠斗の姿を見て、真幸は冷たく言い放った。

「……ふぅん、随分と大漁じゃない」

「あ、真幸。嫉妬?」

「あんた馬鹿? 鼻の下、伸ばしてんじゃないわよ。いつもの3倍マヌケに見える」

そう言って、悠斗の顔に向かって小箱を投げつける。
両手の塞がった悠斗は、真幸の期待を裏切ることなく顔面でそれをキャッチした。

「って……何、これ」

「要らないなら返して」

「頂きます頂きます有り難く頂きます」

慌てた様子で両手の荷物を投げ出し、床に落ちた箱を拾う。
箱にはお情け程度にラッピングが施されていて、それが真幸自身の手作りだと知れた。

「貰っていいの?」

「だから要らないなら返してって言ってんでしょ」

「いや、うん、ありがとう。開けてもいい?」

好きにすれば、という真幸の言葉に悠斗は嬉しそうに箱のリボンを外しにかかる。
箱の中には綺麗に形の揃ったトリュフ、実は真幸は意外と料理が出来る。
それを指でつまんで口に運ぶ悠斗の様子を興味深そうに見る真幸。

早川恵嬢が手に入れた「魔術書」、今は真幸の手元にある。
本に書かれた内容の、はたして何処から何処までが真実なのか。
それを確かめるには実験が手っ取り早い。
作ったのは惚れ薬……ではないのだが。


果たして、その結末は……?