21.Cry for the moon.


新宿駅西口を出て、地下の動く通路を都庁方面へ。
高層ビル群の中の一つ、久しぶりに訪れた協会本部ビルは、知らないうちに改装工事が始まっていた。
取り残されたと感じるか否か、それは本人の感受性による所が多い。
正面玄関が封鎖されている目下の問題と言えば、何処からどのように入れば良いのかということか。

元より人の出入りの少ないこのビル。
あまり公言できない仕事を専門に取り扱っている為、大きく看板が出ているわけでもない。
どうしたものかと思い、ぼんやりビルを見上げてみる。
不意に、気配を感じる。
それにも既に慣れてしまった。

『……真幸サマー、こっちー』

「久しぶり、って言うか……突然出てくるのはやめてよ」

『主のピンチを救うのはー従僕の役目だよー』

「別にピンチじゃないし……」

真幸の前に現れた少年は、小学校四、五年生くらいだろうか。
両手をポケットに突っ込んだ真幸の肘の辺りを、右斜め後ろから引っ張っている。
真幸は右手をポケットから出し、自分を 動かそうと四苦八苦している彼と手を繋いでやった。

彼に導かれ、工事中の正面入り口を迂回し、ビルの別の側面へと向かう。
普段は使われていない、非常用の通用口。
今は臨時の受付になっているようだった。
植え込みに遮られていて、どうにもわかりにくい場所である。

「……でも、今日は向こうに帰って。用事があるときは、こっちから呼ぶ」

『とか言って、全然呼んでくれないしー』

会って、話をしたくないと。
今は顔も見たくないと言ったら、この少年は泣くだろうか。

「最近はその機会が無いだけよ。じゃね」

別れ際、少年の頭を軽く撫でる。
掌に触れるのは、パサパサした髪と、三本の乳白色の角。
今は鬼国と関わりたくない、真幸はその言葉を飲み込んだ。

霜月初旬。
重く雲の立ち込める、平日の午後のこと。




+ + + + +



恭也はあまり愉快でない気分で、紙コップに入ったミルク入りの紅茶をすすった。
断熱仕様のせいで、中身はホットであるが手にはあまり熱さを感じない。
昼食には遅すぎ、夕食にはまだ早い中途半端な時間帯で、食堂の人影はまばらだった。

久々に協会に来てみれば、芳しくない彼女に関するウワサの数々。
すこぶる悪いと言っても過言ではない。
勿論自分に直接関係の無いことではある。
が、そもそも無関係な所で無責任に発せられるウワサというものが気に食わない。

ソレは人々の口だけでなく、別のモノ達の口にものぼる。
例えば協会に協力している妖精。
生来ウワサ好きである彼らは、頼みもしないのに近況を語ってくれる。
鬱陶しいと思うものの、この業界ではウワサ話も貴重な情報であって。
今日は人が少ないせいか、恭也の周囲にはいつに無く妖精達が群がっていた。

『それでねー、今度北海道でコロボックルが集団移動するんですってー』

『徘徊してたカマイタチさー、流れのデモンハンターに狩られたんだってー』

『T3地区でこっくりさんが再燃中なのよ―』

恭也は己の眉間にシワが寄っていくのを感じた。
このところ細々とした事件が多く、必然的に彼らの話も多岐に渡る。
このまま放っておけば、聞きたくも無いウワサ話をいつまでも聞き続けなければならない。

「……それよりこの付近はどうなんだ? 警戒値が上がってたと思うが?」

開けていただけの機関誌を閉じ、周囲を浮遊する妖精達に問いかける。
なにも、難しい話では無い。
自分の知りたい内容へと、彼らの話を軌道修正すれば良いのだ。
彼らはクスクスと笑いながら、恭也の目の前で身を寄せ合った。

『平気よー』

『平気―。あのねー、最近は静かなんだよー』

『静かなのー。知らなかったのー?』

「昨日まで地方に行っていた」

『誰かさんが燃えてるのー』

『燃えてるー』

『狩りまくりー。今日も朝帰りよー』

過多とも言えるその仕事量、その非情さ、女性にとって朝帰りは評判が良くない。
これでは悪いウワサが流れるのも致し方ないか。
妖精達の話を総合すると、その「誰かさん」が仕事でもないのに低級霊やら小鬼やら、依頼にもならない細々とした事件を片っ端から処理しているらしい。

協会は、首都圏を約百の地域に区分し、それぞれで警戒値を測定している。
警戒値というのは、その地域で何かしらの事件が起こる確率である。
その場所の霊気や妖気の状態を総合した危険度を示す独自の数値で、スカウターと呼ばれる協会の調査官や、式神や使い魔がその情報を収集している。
しかし、必ずしも彼らがその情報が意味することを、正しく理解しているとは限らない。

「……狩りを続けられるだけ、荒れているということだろうが」

小さく、口の中で呟いた。
今、最も大きな懸念材料は、まさしくそれである。
不安定な霊気と霊脈、何時になっても消えない不穏な影。
しばらく東京を離れていただけに、恭也にはそれが顕著に感じられる。

マガジンラックに機関誌を戻し、一人、席を立つ。
空になった紙コップが、恭也の手の中で潰れた。




食堂を出て、向かったのはエレベーター。
普段、決まりきった所にしか行かない為、目的の場所がどのフロアにあるのかわからない。
エレベーターホールの案内板を目で辿っていき、二十四と書かれた箇所にようやくそれを見つけた。
高速で昇っていく白く四角い箱は、気圧差で恭也の耳に不快感を残す。

降り立った二十四階、協会員用の宿泊施設があるフロアだ。
他のフロアとは違って静寂な空気が流れていて、どこかのホテルのよう。
エレベーターを降りたすぐ目の前に、小さなカウンターがある。
その中に居るのは若い女性……に見える式神。
恭也は詳しくは知らないが、会長である佐倉の家に関係する者らしい。
アゴの下あたりで切り揃えられた黒髪を揺らし、受付嬢は恭也に向かって一礼した。

『……ご利用でしたら、十階総合受付で手続きを』

「神城真幸はここに居るな」

『……その質問にはお答えしかねます』

式神であるからか、彼女は恭也の鋭い視線に何ら怖じることも無い。
表情を変えずに自分を見上げている受付嬢に、恭也は隠すことなく舌打ちした。
他人の下にある式神に、無理矢理言うことを聞かせるのは至難の業だ。

カウンターの先に並ぶドア、ドア、ドアの山。
恭也の「眼」はその謎を看破する。
許可無き者が入り込めば、たちまち道を見失ってしまう「鏡迷宮の結界」、管轄者は恭也の目前の式神だ。
彼女を説得しなければ、この先に立ち入ることすらままならない。

「あの女に用事がある。何処に居る」

『お答えしかねます。お引取りください』

定本通りの受け答えばかりで、中々、恭也の望む答えを引き出せない。
これでは埒が明かないと、別な方向に思考を転換しようとした時。
不意に、カウンター内に置かれた内線電話が鳴った。
「失礼します」と、こんな状況であっても、彼女は恭也に向かって頭を下げてから電話を取った。

『……二十四階カウンターです。……はい、いらしてますが……承知いたしました』

常に丁寧である受け答えからは、その電話の相手を推し量ることは出来ない。
自然、恭也の指先は磨き上げられたカウンターの表面を叩く。
受話器が静かに置かれるのを待って、恭也は再び口を開く。

「つまりだな……」

『神城様のお部屋はこの上の階、一番奥のF−11になります』

「……ん?」

『こちらが入室許可証です。正面左手のエスカレーターをご利用ください』

意表を突かれた。
体よく追い払われた気がしなくもないが、それでもこれは恭也の望むこと。
押し付けられた許可証を首から提げた。
式神の表情からは、やはり何も窺い知ることは出来ず。
釈然としない気持ちを抱えたまま、恭也は結界の中へと入り込んだ。

久々に相対した少女は、恭也を見るや否や渋面を作った。
元が整った造作である分、そのような表情をすると、心底嫌がっているように見える。
彼女の機嫌が悪いのは本当だろう。
先程から、殺気にも似た気配が恭也を取り巻いている。

「一週間前から、泊り込みらしいな」

通常の素泊まり用の部屋でなく、長期滞在用のそれ。

「……それがアンタと何か関係あんの?」

「無い。だが話はある」

恭也の言葉は、彼女の渋面をより深くしただけであった。




+ + + + +



冷たいビル風が真幸の髪をかき乱し、頬を撫でて通り過ぎる。

恭也を連れて昇ったのは、ビル屋上のヘリポート。
学校の屋上のように、鍵が壊れていて誰でも入りたい放題、というわけではない。
基本的に一般会員は立ち入り禁止区域であり、おそらく恭也も足を踏み入れたのは初めてだろう。

硬い灰色のコンクリートの上を歩く。
後ろを歩くはずの恭也の足音が消え、同じように真幸も足を止めた。

「手合わせ願おうか」

「……マジに言ってる? 今時、時代錯誤も甚だしい」

風がとても強い。
それ故、単なる聞き間違いと思えば。
背後から空を切る音、殺気。
恭也は真幸と同じく戦闘を旨とする能力者である。

「……あー、そう。成程?」

身の丈の半分ほどもある直刀を構えた恭也は、既に臨戦態勢。
ヒリヒリとする頬に手をやれば、指先に残るのは真っ赤な血。
それを下唇に塗り付ける。

「だったらこんな挑発じゃなくて、私を殺す気で、本気でヤれば? じゃないとアンタ……死ぬわよ」

闘いは、死合は常に全力で、手加減など慣れていない。
真幸の唇は、今までに飽きるほど重ねた呪の言葉を紡ぎ始めた。

どうしようもない苛立ちの原因を、言葉にするのは簡単だった。
だが、それを吐き出す術が無い、相手も居ない。
全て奪われ、残されたのは有り余る「力」
その源を厭いながら、結局それにすがっている。

果たして、自分は何の為に存在しているのか。
その答えを手にすることが出来るのは、ごく僅かな一部の者だけ。
多くのヒトは手に入れられぬモノを望み、求める。

あの中空の月を、己が手中にしたいと願うのと同じように。




呪と共に、真幸の右手の中には黒い銃身。
銃口は、間違いなく恭也の額に向けられている。
恭也を見据えながら、真幸は赤い口唇をペロリと舌先で舐めた。

銃声。
腹に低く響く音を立て、銃口から弾丸が飛び出した。
数は二つ、一つは六つに分かれて恭也を襲う。
咄嗟にかざした刀に触れた弾は、その力を互いに打ち消しあい、甲高い音を発しながら消滅した。
恭也は刀で薙ぎ払い、あるいは地を蹴って身をよじる。
息を吐いたのは、全てを避けきった後。

現実に刀と銃の戦いであれば、まるっきり刀に勝ち目は無い。
だがしかし、恭也の刀も真幸の銃と同じく、定形を持たぬ具現化した霊気。
武器の形をとっているものの、実質は霊力の競い合いだ。

刀を振るえば、形を持たぬ音と風の衝撃波。
向かい来るそれを察し、真幸は弾丸を打ち出し相殺させる。

「……退屈。どうせなら、私の渇きも癒してよ」

真幸は銃を構えながら地面を蹴り、立て続けに二発、そして時間差で一発。
向かい来る軌道を変え、上下左右から十八発。
数が増えようと、タイミングさえ読み違えなければ、避けることはさほど難しくない。

「神城……貴様の能力は知っている。俺は、お前と仕事をしたことのある、数少ない人間の一人だからな」

「へぇ、それで?」

先を話せとでも言うように、真幸はアゴをしゃくってみせる。
挑発ポーズ。
判っていても、それに乗りたい自分に恭也は気付いた。

「貴様は、俺と同じ武器を具現化させる能力者だ。ただし具現化に際し、一定の呪が必要。主に銃器、弾数は六。一発の弾を最大六つまで分裂させる。分裂数に比例して殺傷力は低下する……」

「正解。良く見てるじゃない」

「……一度弾を使い切ったら、次の銃を具現化させるまでにタイムラグが生じる」

距離は縮まり、既に真幸は恭也の間合いの範囲内。
刀を振るえば確実に届く位地だ。

「そして貴様の銃の残弾は一発だろう?」

恭也の一撃は重く、それを避けきるには最後の一発を使わざるをえない。
現状で、真幸が己の身を護る術は他に無い。
そうすれば恭也の勝ちだ、さらなる追い討ちをかければ良い。
仮に相打ちを目的に真幸が恭也自身を狙ったとしても、その一撃は避けられなくても良い。
その程度で死ぬほど、恭也はヤワではないのだから。

「……食らえぇええっ!!」

腕を振り上げ、右上から袈裟懸けに切りかかる。
口元を強張らせる真幸。
この一撃で決める、そう思った次の瞬間。

恭也の耳に届いたのは、痛いほど鈍い金属音だった。

「っ……!!」

振り下ろした直刀は、真幸の左肩に届く寸前で、彼女が右手に持つ銃によって遮られていた。
黒光りする銃身に食い込む刃。
しかし、どれだけ力を入れても、それ以上に刀を下げることは出来ず。
まるで互いの霊力を打ち消しあうかのように、青白い火花をその間に散らせている。
そして顔の前で交差させるように恭也へと向けられた左手には。

「情報は生き物よ、日々進化する」

白い歯を覗かせ、真幸は再びその下唇を舐める。
恭也を見据えるその瞳は暗く、深く。

「貴様、何時の間に呪無しで具現化を……!!」

二つ目の銃、引き金には真幸の指がかかっている。
先ほど、恭也の目の前で具現化をしてみせた時には、普通に呪を用いていた。
それも真幸の計算の内のパフォーマンスだったのか。
恭也の顔に浮かぶのは驚愕、背には嫌な汗。

「レベルアップって感じ? 私は最早、以前の私じゃない」

真っ直ぐ恭也へと狙いを定めている、二つ目の銃口。
真幸は口の右端だけを上げて笑った。