15.シンドローム


放課後、少女たちのお喋りが絶える事は無い。
他愛も無い、それでいて必要不可欠なコミュニケーションは、いつの時代も変わらずに其処にあった。

「ってゆうか、カナ以外に話せないって」

「えー? そんなこと言って、彼氏はどうなの?」

半ば深刻そうな顔、けれど、どこか楽しげにも見える。

「こんな話出来っこないよぉ。それに辛気臭いって、シン君に嫌われたらやだもん」

「そぉお? アタシはいつでも味方だからね!」

「うん、親友だもんね」

最終下校の放送が遠く響く。
それを聞きながら、少女は名残惜しそうに鞄を肩にかけた。

ここは学校。
いつまでも居られる場所ではない。

「そろそろ帰ろっかな」

「アタシで良ければ、いつでも相談にのるからね」

「うん、有難う。じゃ、また明日」

「また明日。バイバイ」

それは、何処ででも見られる日常の光景。




+ + + + +



その日は、珍しく机に向かっている真幸の姿が第二進路指導室で見られた。
休む事なくペンを握った右手は動き続け、時折視線は空を漂うが、それでも真面目に勉強しているように見えなくも無い。
「見えなくも無い」としか形容出来ないのは、真幸の目前にルーズリーフしかないからだ。
数枚の紙の他に、教科書も問題集も無い。

ランスはパイプ椅子に逆向きにまたがり、背もたれの上で腕を組んだ。

「サキ、何してるの?」

「文化祭前だから……忙しいのよ」

こうしてマメに真幸の元に顔を出してはいるが、ランスも暇を持て余しているわけではない。
文化祭でのクラス有志の準備等、やるべきことは少なくない。
それでもランスは部活動に所属していないので、唯や晃ほど時間はある。
それは真幸も同じで、さらに三年生でもある為、クラス有志も無い。

疑問苻を浮かべたランスに、真幸は手元の紙を見つめながら言葉を繋いだ。
ランスへの説明と言うよりも、どちらかと言えば独白に近かったが。

「文化祭とか体育祭とか、学校の空気が賑やかになると、別の奴等も賑やかになるのは何でなのかしらね……」

ただでさえ霊的立地が良くないこの学校。
多少の心霊現象は目を瞑るが、あまり多発するのは困り物である。
外部から人が多く訪れる時期、来校者に害が及ばないように、それらを押さえ込むのも心霊対策委員会の、もとい真幸の仕事である。

中でも、特に入試の時期には念入りに対策を講じている。
校長と理事長曰く、"集まりやすい"この学校にやって来た受験生が、何者にも邪魔されずに入試に臨めるようにする為だそうだが、真幸に言わせれば、変なコトが起きて受験生が減らないようにする為だ。
無事に受験を終えた霊感持ちの生徒が、入学式で再び校舎を訪れ、愕然とする様が稀に見られる。
酷い時は登校拒否に陥るケースもなきにしもあらずだ。

「これ、アンタの分だから」

そう言って、真幸はランスにルーズリーフを一枚手渡した。
右上がりで多少癖のある字。
ブルーブラックの細いペンで二十三の項目が列挙されていた。
そして同じ物がもう一枚、真幸の手元に残されている。

「そっちは、もしかしてユイちゃんの?」

「そういうこと。でもあの娘も部活とか忙しそうだし、とりあえずアンタだけ先に話しておくわ」

手の中、ランスはルーズリーフに目を落とす。

本館西階段屋上前の踊り場。
第二体育倉庫。
屋外プール第五コース。
二年三組最後列窓側の席 etc...

無造作に校舎内のポイントを並べているわけではない。
リストの先頭数個を見ただけで、ランスはこれが何を現しているのか理解した。
つまり、「彼等」が居る場所だ。

「これ全部を処理するの?」

ランスが尋ねると、真幸はペンを胸ポケットにしまいながら、難しそうな表情で応える。

「わかってると思うけど、此処はちょっと特殊な地域だし、ヘタに触ってバランス崩すとやっかいなことになりかねないのよ」

それはランスにも良くわかった。
この地域には、祠や社、塚といったものが非常に多い。
それらは皆、不安定なこの一帯のバランスを保つように絶妙に配置されている。
聖陵高校はマイナスエネルギーの中心でもあり、此処で何か起きると、街全体のパワーバランスが壊れることも充分に考えられる。

「だから一時的に封じるというか、大人しくしてもらうっていうか……」

「じゃあ、僕は何をすれば良い?」

「とりあえず、リストの場所を巡ってみて、それで何をどう感じたか私に教えて頂戴」

それが終わってから特別な処置に入るとのこと。

「来年はアンタとユイにやってもらうことになると思うし。まぁ、気を付けて行ってらっしゃい」

様々な事象を自分自身の目で確かめることは、当然、能力者としての修業になる。
真幸は敢えてその点には触れなかったが、そういった思惑があってのことだとランスは理解した。

ランスは除霊だとか封印といった類の「処理」が苦手だ。
けれどいつまでも苦手だと言っていられない。

(努力、かな……)

使わなくなって久しい、自分と縁遠い単語を思い出した。




カタカタと、ミシンの音が放課後の被服室には溢れている。
文化祭が近いこの頃、此処からミシン音が常に流れ出していた。
教室の中には数名の家庭科部員と、数人の演劇部員が居て、共にミシンの前に座っている。
被服室は普段は演劇部とは無関係な場所であるが、公演前にはとてもお世話になる場所に変わるのだ。

「友里センパイってぇ、彼氏さんとすごーくラブラブですよねぇ。理想のカップルって感じ」

「そんなことないって」

そう言いながらも、友里の顔は心なしか赤くなっている。
それを誤魔化すかのように、友里はミシンの足踏みコントローラを一層強く踏んだ。

友里は唯と同じ演劇部で、一学年上の二年生だ。
今回の公演では、衣装班のチーフでもある。

「センパイ達みたいに、ユイも真幸お姉様とラブラブカップルになりたいです」

「真幸先輩は人気あるもんねぇ」

「そうなんですよぉ。もぅ、周りはライバルばっかりって感じで」

一番のライバルは、某古典教師のような気がする。
溜息を吐きつつ、それでもユイが手と足を休めることは無い。
途中で配役の変更があった為、衣装の作製が遅れ気味なのだ。

今度の演目は「不思議の国のアリス」
役を貰えなかった唯は衣装班だが、それでも劇を構成する一員に変わりは無い。
何事にも一生懸命に取り組むことは、大切なことだと唯は思っている。
それに、唯はもとより手芸が好きなのだ。

「でもさ、真幸先輩って優しい、何でも相談に乗ってくれるよね。仲良くて羨ましいなぁ」

「何言ってるんですか。友里センパイだって、彼氏さんに相談できるじゃないですか」

友里はアリスの水色のサーキュラースカートの裾の始末にかかる。
一方、ユイはハートの女王のドレスのパフスリーブに取りかかった。

「んー、あんまりシン君に相談事って持ち掛けないからなぁ」

「そうなんですか?」

「やっぱ、相談するなら女友達でしょ。彼氏の方もそういう話してこないし」

話している途中で友里のミシンの音が消える。
友里は演劇部の備品の裁縫箱から、衣装と同じ新しい水色のミシン糸を取り出した。

「彼氏の前で愚痴とか言いたくないし。それで幻滅されたら嫌じゃない」

「そういうものですかねぇ……ユイには良くわかりませんけど」

再び、友里のミシンが動き始める。
それからは二人の間のお喋りは止んだ。

友里とその彼氏の間柄について、唯はどうこう言うつもりは無い。
けれどもその関係の在り方には多少の疑問を覚えた。
とは言え、好きな相手に自分のみっともない姿を見せたくないという感情は、人として当然だとも思える。

(つまりは、お互いにどれだけ自然で居られるかってことですよねぇ)

人間とは面倒臭い生き物だ。
自分のことを棚に上げ、唯はそう思った。

「……あ」

「どうしたの?」

押さえを上げて、ミシンから衣装を引き離す。
そして、にこやかに笑う。

「ギャザー寄せ、失敗しちゃいました」

友里の言う「女友達」に、唯は嫌な心当たりを思い出した。




聖陵学園は、出来てから比較的新しい学校である。
高等部の他にも中等部と大学部があるが、それぞれに高等部からは離れた場所に校舎がある。
その為か完全な一貫教育校とは言えず、系列校と言う方が正しいかもしれない。

聖陵高校の校舎は新しく、最新の設備が整っている。
それでも学校には怪談話の一つや二つは付き物ものだ。
ご多分に洩れず、ここ聖陵高校にも七不思議なるものは存在した。
ただし他と違うことには、七つの不思議を知ってしまっても何も起こらない。
何故なら、聖陵高校の七不思議は七つでは収まらないからだ。




真幸から渡されたルーズリーフに、ランスは再び目を落とした。
やはり見間違いではない。
「アルファ棟四階・女子トイレ」
確かにそう書かれている。

自分に対する嫌がらせかとも考えた。
一瞬、それもあり得ると思ってしまったが、こういった仕事でふざける真幸ではないと思い直す。
仕事以外ではどうだかわからないが。

「サキ、女子トイレは、さすがに厳しいよ……」

ここに居ない相手に文句を言っても仕方が無い。
幸い、最終下校間際のアルファ棟に人影は少なく、遠くから眺めるくらいは出来るかもしれない。
ランスは思考を前向きに切り替え、リストを折りたたんで制服のポケットに入れた。

調理室のあるアルファ棟は、ほんのりと甘い香りが漂っている。
他にも美術室や被服室には人が若干残っているようだった。
ランスが目指す四階にあるのは、第二視聴覚室だとか第二音楽室だとか、放課後に使われることが極めて少ない教室ばかりで、人影は全く無かった。

「トイレは奥か」

どのフロアも、作りは基本的に同じだ。
四階には滅多に足を踏み入れないランスにも、それが何処にあるのかくらいは見当がつく。
果たして、奥まった廊下の突き当たりに、男性用・女性用のそれぞれがあった。

そこに辿り着く前に、ランスは足を止める。
清掃中につき使用禁止。
そう書かれた看板が出ていた。

(こんな時間に掃除……?)

不審に思い、足音を立てないようにそっと女子トイレの様子を窺った。
もちろん、周囲の気配には最大に注意しながら。




「あんまり生徒と関わらないようにって、真幸お姉様からも言われてるじゃないですかぁ!!」

唯は目の前の少女に詰め寄る。
彼女は、校内では見る事の無いセーラー服を着ていた。
長い黒髪を人差し指に巻きつけながら、少女は答える。

「だってぇ、アタシは此処から動けないわけだしぃ、相手が勝手に来るんだから、仕方なくない?」

「でもぉ、別にカナさんが姿を見せる必要は無いわけですよねぇ?」

「えー? せっかく波長が合ったんだもん。偶にはイイじゃん」

「カナさんの場合は偶にじゃないじゃないですか」

唯の言葉にカナは膨れっ面になる。

「そうかもしれないけどさぁ、今回のは友里の為だもん。ちょー人助けだってば」

「人助けぇ?」

ひょい、と飛び上がり、カナは空中の見えない何かに腰掛ける。
そしてヒザにヒジをつき、そこにアゴを乗せた。

「傷つきたくない症候群って知ってる? fear-of-being-hurt syndrome って言うんだけどさぁ、友里って絶対ソレだと思うんだよねぇ」

「なんですか、ソレ?」

「彼氏に本音言わないで、悩み事は親友に相談して傷つけ合わずに恋人やってるカップルのこと」

そんなことも知らないのかと言わんばかりのカナの様子に、今度は唯が膨れる番だった。
それに気付かないのか、それとも気付いて知らないふりをするのか。
カナは一人で言葉を続ける。

「なんか、親友って呼べるような友達も居ないみたいだったしぃ、やっぱここは女同士、話を聞いてあげるべきでしょ。それで友里の気持ちが楽になって、彼氏と仲良くやっていけるんなら万々歳じゃん」

「そうですかぁ? なんかそれ、ただの馴れ合いっぽいんですけど」

「世の中、そんなもんだって」

腕を広げ、諦めたように大袈裟に首を振る。




マズイ、とランスが思った時には、既に目が合っていた。
突然黙ってしまったカナの視線を追い、唯もランスのことを見つけてしまう。

「……センパイ、何やってるんですか」

「いや、これには深いワケが」

どうやって言い訳したものかとランスは額を押さえた。
この状態では単なる覗き魔にしか見えない。
素直に全ての事情を話すのが一番正解だとは思ったが。

「ねぇねぇ、この人ダレ? 超カッコ良くない?」

いつの間にか、カナは唯の横に立って耳打ちしている。
カナ的にはランスが女子トイレを覗いていたことはあまり気にならないらしい。

その言葉はランスの耳にも届いていて。

「初めまして。二年のランスロット・ディアスです。よろしく」

極上の笑顔で、唯曰く営業スマイルでランスは挨拶した。

カナがどんな少女であっても。
たとえ地縛霊であったとしても。
女性である以上は敬意を払うべきだと、ランスは後になって唯に語った。

「ランス君? よろしくー、アタシはぁ……」

「知ってるよ。金井花子さんでしょ?」

ランスに握手を求めようとした格好で、カナの動きが完全に止まった。

「花子さん、どうかした?」

カナの後ろで、唯がアチャーという顔をしているのが見えた。

「その名前で呼ばないでよぉおおぉぉおっ!!」

耳の痛くなるような絶叫を残して、カナの姿は宙に消えた。
そして何故かランスの頭上にはバケツが浮いていて。
けして重力に逆らうことなく、金髪の頭に落下した。

「……お水が入ってなくて良かったですね」

「多分、ね」




動く銅像。
体育館で勝手に跳ねるボール。
ひとりでに鳴るピアノ etc...

多々ある七不思議の中でも、最もポピュラーなのはトイレの花子さんだろう。
もちろん、聖陵高校にもトイレの花子さんの話は存在する。
しかし特筆すべきは、聖陵高校の花子さんは三人居るということだろうか。
そして、それぞれに別の名で呼ばれていたりする。
そのうちの一人が金井花子で、出現ポイントはアルファ棟四階の女子トイレである。




+ + + + +



薄暗い帰り道、ランスは唯を送っていく途中だ。
唯の家とランスの家は方向がまるで逆だが、夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかない。

「自分の本当の姿って、好きな人に知られたくないモノですかねぇ」

「ん?」

「ユイは、大好きなお姉さまにはユイのこと、いっぱいいっぱい知ってもらいんですけど」

自分より幾分低い位置にある唯の頭を、ランスは軽く撫でた。

「うん、ユイちゃんは可愛いね」

「答えになってないですよぉ」

口ではそう言いつつも、表情を見るかぎり、満更でもないようだ。
そんな唯を、ランスは心から可愛いと思う。

(……好きだからこそ言えないコトって、やっぱりあるもんだよ、ユイちゃん)

ランスはその言葉を胸の内に留めておくことにした。