14.きせき


「さようなら」

ざわめく放課後の校舎の廊下。
会釈して擦れ違う少女に、真幸はギョッとして振り返った。

「……早川さん!?」

真幸が彼女の名前を思い出すまでの僅かな間、彼女はそのままの歩みを続けていたが、小柄な少女は少し先から真幸の言葉に素早く反応する。
くるりとこちらを振り向いた時に、長い二本の三つ編みおさげが大きく揺れた。
そしてその少女、早川恵の顔も楽しそうに笑っていた。

「真幸先輩、どうかしましたか」

「あ、いや……肩にゴミ付いてるわよ」

あどけない笑顔を向けてくる恵に、逆に慌てたのは真幸の方だった。
誤魔化すように笑顔を返しながら、真幸は腕を伸ばして何も付いていない恵の肩を払った。

(危ない……)

噴き出しそうになった冷や汗を、気合で押さえ込む。
それに成功した真幸は、ほっと胸を撫で下ろした。

人には、言って良いコトと悪いコトがある。
その辺りは真幸もわきまえているし、語らず黙して誤魔化す術も日々上達している。
それが人として正しいか否かは、この際脇に置いておくことにするが。

「ありがとうございます」

「最近どう? 新しい彼氏とは上手くいってるの?」

「おかげさまで」

幸せそうな表情は、その為か。
周囲を幸せに出来るその笑顔は、真幸にも幸せな気分をわけてくれた。
けれど、心の奥には冷たい刺が残る。

「先輩は彼氏とか作らないんですか?」

無邪気な問いはヤブヘビだった。
真幸にとっての鬼門であると言っても過言ではない。
けれどそれを可愛い後輩に見せるほど、真幸は子供ではなかった。

「そぉねぇ……」

「あ、何だったら紹介しますよ。先輩に憧れてる男の子って、結構多いですから」

自惚れているわけではないが、真幸は自分が同性異性両方にモテることを知っている。
古典的だが週に何通かは下駄箱に手紙が入っているし、呼び出されることもしばしば。
手紙には心霊相談が混じっていることもあり、仕方なく全てに目を通している。
ファンレターのような物も多い。

「まぁ、機会があったらね……」

既に持て余し気味の己の感情に気付いている真幸は、他意の無い恵の言葉に曖昧に笑って応えることしか出来なかった。




+ + + + +



西の空に傾いた夕方の陽が、静かな室内に差し込んでいる。
窓枠に片手を突きながら真幸は何気なく尋ねた。

「ねぇ、あの子の肩の上、視える?」

室内には真幸とランスの二人の姿しかない。
自分が問われていることに気付いたランスは雑誌から顔を上げた。

第二進路指導室、実質単なる資料室であるが、そこの窓からは広い校庭が一望できる。
そして真幸が示すのは、部室棟の前で談笑する女子の一団。
その中の一人、長いおさげ髪が特徴の少女だ。

「誰? ……って、もしかして恵ちゃんのコト?」

真幸の記憶が正しければ、彼女はランスと同じクラスだったはずだ。
そういうことは、しっかりとインプットされている。

「可愛いよね、あのコ」

「……校内で"食事"するんじゃないわよ」

何だか物欲しそうなランスに、真幸はしっかりクギを刺した。
いや、この場合は白木の杭と言った方が正しいかもしれない。
了承の意、もしくは降伏の意も込めて、ランスは真幸に向かって両手を上げた。

「わかってるって。でも最近、妙に喉が渇くんだよねぇ……」

特有の物騒な科白を呟くランスの後頭部を、真幸は軽く叩いた。

「悠斗にでも頼みなさい。それはいいから……視える?」

「何も……いや、ちょっと待って」

先程までの軽い調子から、一転して硬い響きの声色に変わる。
校門へと向かい、段々小さくなっていく恵の後ろ姿を見つめるランスの瞳は、怖い程に真剣な赤眼だった。

普段、周囲に見せることの無い、異質な瞳。
そのランスの視線を追うが、校門へと向かう彼女達を、真幸はもはや判別できない。
けれど、恵だけを見つめるランスの視線が揺らぐことはなかった。

「サキ……何なんの、アレ」

伏せた目を、瞼の上からマッサージするランス。
再び開いた時には、それはいつもの青い瞳だった。

「何に視えた?」

真幸の問いに対するランスの逡巡は、言葉を選ぶ為の時間だったのか。
ランスは座ったパイプ椅子の上で片膝を抱えた。

「……黒い、霧みたいな塊。でもあんなに暗い思念は初めて見た」

「私には黒いマントを頭から被って、白い仮面を付けた男に見えるわ」

見え方が違っているのは、それぞれ価値観と思想が違うからだろうか。
信仰の差もあるかもしれない。

「……鬼籍を繰る者。私達はそう呼んでる」

「きせきをくる……?」

単語が理解出来なかったか、ランスは真幸に問い返す。

「有り体に言えばDeath……死神よ。前に何度か見たことがある」

「彼女、死ぬのか……」

「あるいは、その家族」

鬼籍を繰る者は、誰かを連れて行く時にだけ、その近くに姿を見せる。
死をもたらす神と呼ばれているのは、あながち間違いではない。
ただ、死を迎える者全ての元に現われるわけではなく、良くも悪くも選ばれた、魂の修行をすべき者を連れに来る。

「……助けられないの?」

「相手が悪いわね。手ぇ出すと、相当痛い目見るわよ」

「出したコトあるんだ……」

真幸は応えない。
夕陽の差し込む部屋に、ランスと真幸の二人の影が静かに伸びていった。

「アレ見ると……すっごいヘコむのよね」

ぽつりと呟いた真幸に、ランスは小さく頷いた。

死神は悪の化身ではない。
「彼」に看取られることは、魂のレベルで考えれば幸せなことかもしれない。

だけれども。
人が人の死を事前に知ってしまうのは、けして楽なことではない。




+ + + + +



翌日の昼休み、真幸の下に訃報が届く。
ランスがもたらしたそれによると、亡くなったのは恵の母親だそうだ。

静かな秋の空を見上げながら、真幸は嘆息して目を閉じた。