12.罪


晃が入院し、そして意識を取り戻してから一週間後。
真幸は再び晃の元を訪れた。
一週間前はICUに入っていたが、今では一般病棟四人部屋の住人だ。
入院患者が少ないのか、四つのベッドのうち半分は元から空床で、一つには荷物はあるが主の姿は無く、室内に居たのは暇そうに漫画雑誌を読む晃だけだった。

常時開放されている扉から真幸が入ると、晃は雑誌から顔を上げずに応じた。

「晴香―、それ置いたら帰っていいぞ」

自分の妹と勘違いした晃に、真幸は晴香から預かったモノを晃目掛けて放り投げる。
それは絶妙な放物線を描き、真幸の狙い通りに晃の頭にクリーンヒットした。

「ってぇ、お前何すん……だ、って、真幸先輩……!?」

顔を青色に変えた晃に冷たい視線を投げかけつつ、真幸はベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。

「アンタ、自分の妹パシリにしてんの?」

「いや、これには深い訳があって……晴香は?」

「帰ったわ。これからアンタんトコ行くって言ったら、ソレ届けてもらえますかって頼まれた」

指で示すのはバニラのアイスクリーム。
どうやら晃のおやつらしい。
入院している間に兄が太りそうだと、妹の晴香が真幸にこぼしていた。

晃は自分の手中のアイスと真幸、そして再びアイスへと視線を動かす。
そして口を開いた。

「……先輩、食べます?」

「いくら私でも、病人の物を取ったりしないって。早く食べないと溶けるわよ」

「あ、はい。そうします」

ガサガサと外袋を破き、晃は棒状のアイスを口にくわえた。

「明日の午後には退院だって?」

「はひ、そうれふ」

口を動かしながら答える晃。
そしてアイスが冷たかったのか、子供の様に頭の痛みに顔をしかめた晃に、真幸は口元を緩める。
普段あまり見せない真幸の優しい表情に、晃は思わず息を飲んだ。

「……晃、どうかした?」

半ば呆然としていた晃は、その言葉で現実に引き戻された。
その時の真幸の表情は、普段晃が目にしているのと変わらない、いつものクールな顔だった。
晃は「なんでもないです」と言うと、微妙な気まずさを振り払うようにバニラアイスにかぶりついた。

「まぁ、元気そうで良かったけど」

「……なんか倒れた時に先輩達が来てくれたって母さんと晴香から聞いて。ありがとうございます」

「お礼言われるようなコト、別に何もしてないわよ。あの時はユイがパニくっちゃってたし」

真幸は興味無さそうに視線を外した。
そんな淡白な真幸に晃は食って掛かる。

「聞いてくださいよ、先輩!! 一昨日ユイが来てくれたんですけどね、もうメチャクチャ怒られたっすよ!! 倒れたのは原因不明だったんだし、俺が悪いワケじゃないってのに……」

どのような言葉で怒られたか、身振り手振りを交えて一生懸命に説明する晃。
適当に相槌を打ちつつ、左から右に流している真幸。
晃は話している間にもしっかりアイスは口に運んでいて、大袈裟な説明の間に手に持ったのは芯棒だけになっていた。

「それでですね、見舞いに来てくれたことは感謝するけど手土産の一つも無しかよ!!って言ったら、晃には缶ジュースだって勿体無いですぅ、とか言うんですよ、アイツ。ほんっと、可愛くないですよね。可愛いですけど!!」

微妙に矛盾したことを叫ぶ。
なにをそんなに力説したいのかわからないが、おそらく己の意思とは無関係にベッドに縛り付けられる日々が続き、相当ストレスが溜まっていたのだろう。
そう考え、真幸は溜息を吐いた。

「ユイは可愛いじゃない」

「だから、顔が可愛いのは認めますよ!! ウチの学校で一番じゃないですか? でもですね、なんていうか、可愛くないんですよ!!」

もしもこれが飲み会ならば、高校生にアルコールは法律違反だが、片手のグラスをテーブルに叩き付けていたであろう勢いだ。

「つーか、私も手土産無しだし」

「いや、すみません、そぉゆうつもりじゃないっす」

さぁっと青褪める顔。
そのあからさまな態度の変化が面白い。
真幸はクスリと笑った。

「じゃ、そろそろ帰るわ。もうすぐ夕食でしょう?」

「今日はありがとうございました。もう薄暗いっすね。センパイも気を付けて帰ってくださいよ」

窓の外、夕暮れ時の街並を見て、晃はそんなことを真幸に言った。

夕暮れ時は逢魔が時。
大禍時の転じた言葉で、最も人外のモノと遭遇しやすい時間帯と言える。

「アンタ、私を誰だと思ってるの」

「ほら、最近は変質者とかも多いじゃないですか。そういうのに気を付けてくださいって意味ですよ」

そんな晃の心配を、真幸は一蹴した。

「あ、それは平気。此処から家までタクシーで帰るから」

「…………ブルジョアっすね」

「そーゆーコト言うのはこの口か? ん?」

こっそり呟いた言葉は、何故かしっかりと真幸の耳に捉えられていて。
真幸は帰り支度を止め、晃の両頬を思いっきりひっぱった。
その痛さに耐えかね、晃は思わず叫んだ。

「あ、大切なコト忘れてた。ねぇ、晃」

「……何ですか」

赤くなった頬をさすりながら、晃は涙目の顔を上げる。
これ以上何かされるのかと、思わず身構えた。

眼前に迫る、真幸の手。

「……全部、私の責任よね」

視界が閉ざされる。

「ごめん、晃……」

圧倒的な支配。

最後まで覚えていたのは真幸の冷たい手と、謝罪の言葉。

けれど、目覚めた時にはそれすらも忘れていた。



+ + + + +



1 Week Ago

ずっと、寒気が続いている。
風邪を引いたのかと思って、学校に居る間にも保健室で熱を計ったが、体温計が示したのは全くの平熱だった。
こんなことは今までにも何度かあった。
何か良くないことの前触れ、そして、何か霊的なモノの訪れ。

兄の晃と違って、晴香が実際に幽霊を見ることは皆無に等しい。
何となく薄暗いな、やけに寒いな、といったことを感じることは稀にあるが。

このまま兄は逝ってしまうかもしれない。
母が抱いているであろう不安と同質の、けれど母とは違った確固たる恐怖を胸のうちに潜め、晴香は下唇を噛み締めた。

(神様、兄貴を助けて下さい……!!)

晃が、自分の兄が何処かへ行ってしまう。
何かに連れ去られてしまう。
それなのに自分では何も出来ず、ただ怯え、震えている。

病院の廊下は肌寒かった。
白く清潔であり、どこか拒絶されているような、そんな雰囲気が漂っている。
壁の向こう側には、生命維持装置に繋がれた兄の身体が横たわっているはずだった。
けれど、その姿が見えない、その気配が感じられない。
ただ、冷たい空気が肌を撫でていくだけで。

隣で泣いている母の肩を抱く。
小さく震えていた。

「お母さん、泣かないでよ……きっと兄貴は大丈夫だから」

「そうね、そうよね……」

そう言いながらも、母のすすり泣きが止む事は無かった。
晴香はそんな母の背中をゆっくりとさすった。

「これ、飲んで落ち着いてよ」

兄の友人から受け取った烏龍茶の缶を手渡す。
貰った時は熱かった缶だが、そろそろ温くなっていた。
それに口を付ける母を見ながら、晴香は兄の友人達について考える。

病院に駆けつけてくれた、金髪碧眼の先輩。
落ち込んでいた母と晴香を優しく慰め、励ましてくれた。
兄の晃より一つしか年上でないというのに、随分と落ち着いた雰囲気の持ち主であった。
そして兄が倒れた時から一緒にいた、クラスメイトだという少女。
随分可愛い人で、始めは兄の彼女かと思ったが、どうもそういう感じではないようだった。

二人とも、真剣に晃のことを心配しているのがわかった。
そして、晴香と同じ恐怖を感じ取っていることも。
その二人が頼った、一人の少女。

以前、晃が高校に入った頃に、晴香は彼女のことに関して晃から聞いていた。
曰く、凄い先輩が居ると。
霊障の相談だとか、除霊作業をその人に頼んでいたことも、晴香は知っていた。

だから、その当人が目の前に現れた時、晴香は軽い驚きを覚え、同時にそれまで顔も知らなかった彼女に一縷の望みを託した。
彼女ならどうにかしてくれるのではないかという淡い期待を抱いた。

今、その人は此処に居ない。
残る二人も姿を消した。
果たして、兄は助かるのだろうか。

ふと、彼女が少女に言い聞かせていた言葉が甦る。

『晃は大丈夫。だからそんな顔しちゃ駄目。いい? 晃は。大丈夫。OK?』

思い出すと、胸の奥が熱くなってくる。
その言葉を信じる以外、どうしろと言うのだ。

「……兄貴は、大丈夫」

母に、何より自分に言い聞かせるように、晴香は独語した。




真幸からの純白の伝言蝶に導かれたランスと唯は屋上に居た。
唯は冷たい風から逃れるように、ランスの後ろにへばり付いてその身を隠す。

「寒ぅ〜」

「まぁ、もう十月だからね」

苦笑し、ランスは両の手の平を合わせる。
ランスは、いわゆる魔法を使うスペルユーザー。
一言二言呟くと、周囲にいくつもの赤い焔が現れた。
そして突然の火に驚くことも無く、逆にそれに手をかざして暖を取る唯。

「あったかぁい」

その言動にランスは思わず気の抜けた表情を浮かべた。
相変わらず唯は読めない思考の持ち主だ。

「そうじゃなくて、俺が目隠しかけるから、ユイちゃんは人が来ないようにドアに鍵かけてくれる?」

「はぁい」

いつもの調子で片手を上げて返事をした唯は、手に持ったカバンの中からメモ用紙のような物を取り出す。
その中央に筆ペンで「不可進」の印を書き付けて、軽く息を吹き掛ける。
唯は即席の札を両手で戴き、それを屋上と屋内を隔てる鉄の扉に向かって放った。

「此処より先、我が許し無くして立ち入る可からず……」

札は真っ直ぐに空を滑り、扉を枠に縫い付ける。
己の術の完璧さに、唯は「よし」と小さくガッツポーズをした。

一方、ランスはさらに呪文を続ける。
合わせたままの両手をゆっくり離し、間に拳一つ分ほどの空間を取る格好で、ランスは小さく口を開けた。

「……<Invisible Screen>Open」

現実世界から切り取られたかの様に、その場だけ空気が豹変する。
普段は、それぞれに真幸とばかり行動しているので、唯がランスの術を間近に見るのは初めてだった。
そして、その術の発動までのスムーズさに、唯は素直に感心してしまった。

(でもランス先輩にばっかりイイカッコさせないもん!!)

薄暗い足元に気をつけながら、唯は法陣を描く場所を探す。
屋上の石のタイルは所々欠けていて、爪先で石片を蹴飛ばすと、炎の明かり届かない暗闇の中に転がっていった。

「……この辺りかなぁ〜」

とんとん、と床を叩く。
その位置は丁度、晃の病室の真上か。

「あっちが北でぇ……」

夜空を見上げ、星を指差しながら方位を確認する。
そして今度カバンの中から取り出すのは、シガレットケースのような物。
中に入っているのは白とピンク、そして黄色にオレンジ・紫など色とりどりのチョークだった。
発売されたばかりの人気歌手の新曲を口ずさみながら、唯はタイルの上に落書きを始めた。




ふと、暖かい風を感じる。
それと同時に、今までの寒気が嘘の様に消え去っていた。

(……何?)

視界の隅に光が見えた。
最初はペンライト程度の灯りだったが、それは瞬く間に膨れ上がる。
思わず目を閉じてしまうが、瞼を通して届くのは、何処までも暖かな光だった。

白い光は、壁に吸い込まれるようにして消えた。
辺りを包むのは、まるで春のような空気。

刹那、晴香は悟った。兄は助かった、と。




「……えいっ、ですぅ」

真幸に言われた一通りの作業を終え、唯は締めの声をあげた。
それを聞いて、それまで屋上の隅の方で大人しくしていたランスが近付いて来る。

「これは、結界……?」

「ピンポーン。ユイ特製浄化結界!! 効能は不特定危険物のシャットアウトになりまぁす」

「じゃあこれを隠せばサキに言われたことは全部終わりか」

そう呟くと、ランスはパチンと右手の指を鳴らした。

「……<Opaque Covert>Unfold」

床面を滑るように、ドライアイスの煙のようなものが足元を抜けていく。
白い煙は先ほど唯が描いた落書きを跡形も無く消し去った、かのように完全に隠した。
後には所々欠けたタイルが残るのみ。
ランスが作り出していた炎達も失せた。

「お姉様の方はどうでしょうねぇ?」

「……多分、平気だと思うよ」

普段から、ランスは人間である唯や晃が感じる以上に真幸の気配を近くに感じている。
段々弱くなるそれに、ランスは言葉の端を濁した。

階下に戻ると真幸は既に晃の病室の前に居た。
短時間のうちに心身共に疲弊したように見受けられる真幸は、晃の妹に「今晩十二時過ぎには意識が戻るだろう」とだけ告げた。
説明を求める唯をランスは押し止め、真幸に倣って唯とその場を後にした。



+ + + + +



目を閉じてくずおれた晃をそのままベッドに寝かせ、真幸は一人病室を後にした。
握りしめた拳は冷え症の為か冷たく、かじかんでいるわけではないが、無性にやる瀬ない気分を呼び起こした。

(そう、全部私の責任……)

こんな事が起こるかもしれないとわかっていたはずなのに、何も手段を講じてこなかった。
自惚れか、それとも認識の甘さ。
人一人の命の責任を問うのは、高校生の真幸には酷な事かもしれない。
けれど、真幸が能力者であるうとするならば、その所在は問われてしかるべきことである。
責任を持てない、あるいは持ちたくないが故、人の生き死に関わる仕事を断る能力者も少なくない。
それだけの自信と覚悟が無ければ引き受けられない仕事もあるのだ。

今回の晃の一件。
真幸が注意深く見ていたなら、防げたかもしれない事件だ。
危機的状況を招いたのは、結果的に真幸に他ならない。
真幸が晃を傍らに置くのであれば、晃が自身を護る術を持たない以上、全ての責任は真幸へと集約される。

晃の問題ではない。
全ては真幸自身の問題だ。

(おばーちゃんの占い、やっぱ当たるなぁ……)

この世の中に「絶対」など在り得ない。
何が正しくて何が間違っているのか、誰にも決めることなど出来ない。
迷っている暇など無かった。
だがしかし、自分の選択は最善の物だったと言えるのか。
果たして思考は堂々巡り。

己の手の平をじっと見つめる。
特別大きくも無い、女性として標準的なサイズの手だ。
指も長いわけではないが、爪の形は良い方だと思っている。

その手で、真幸は晃の全ての霊感を封じ込めた。
他の誰でもない、真幸自身が下した決断。

Guilty Or Not Guilty.

それは誰にもわからない。
悩み、それこそが罪であり罰であると真幸は理解した。