10.ドクター


「それは、私に化物になれって言いたいの?」

真幸は舜に言葉を返す。
この時になって初めて、彼の瞳が緋色に輝いていることに気付いた。
だからだろうか。
悠斗に似た面影を持ちながら、明らかに異なった彩の空気をまとっている。

思えば、真幸は悠斗に関することをほとんど知らない。
一体悠斗が何者なのか。
何故、自分の傍に居るのか。
その正体、本当の力も見せない相手を、自分は何故これ程までに信頼しているのだろう。

「……己の内に疑問を溜め込むのは良くないのぅ。それでよく疑心暗鬼を生じないものよ」

「っていうか、答えになってないし」

文句をつける。
すると舜は真幸の額に当てた指を離し、「それで良い」と呟いた。
それに再び苛立ちを感じたが、この場ではそれ以上の反抗は控えることにした。

「来やれ」

「ちょっ、何よ」

突然、腕を取られて立たされた。
それで腕を放してくれれば良いものを、何故か真幸の手を掴んだまま舜は歩き出す。
それも突然のことだったので、真幸は足をもつれさせて転ぶところだった。

「悠が……そなたに全てを話しておれば、斯様に回りくどいことをする必要も無かったのじゃ」

独り言のような舜の科白は、真幸の耳にもきちんと届いた。
窺うようにして見上げた舜の目は、冷徹な程に真っ直ぐ正面を見据えていた。

それまで居た広間は地下のようで、巨大な扉の向こう側は長い階段になっていた。
左右には龍の彫り物のある灯篭が並んでいて、足元を明るく照らしている。
その一段一段を上りながら、舜が真幸を振り返ることは無かった。

「……そなたは悠のことを余に尋ねんのか? そなたが欲する答え、余は与えてやれる」

階段の先に光が見えた時、舜は唐突に真幸に問うた。
たっぷりと、真幸は沈黙を望んだ。

正直な話、舜に聞きたいことは数え上げれば切りが無いほどだ。
それは悠斗の話だけに収まらない。
説明してもらって納得できるかどうかは別問題だが、それでも聞いておかなければならないことは山ほどある。
しかし。

「……悠斗のことをアンタに聞くのは、筋が違うじゃない」

悠斗が真幸に言わないこと。
言いたくないことかもしれないが、それにはそれなりの理由があるはずだ。
それを当人が居ないところで他人に聞くのはフェアじゃない。
もし単に言うのを忘れていたというなら、ただでは済まさないが。
その場合は、相応の罰を受けてもらおう。

「それより、いつまで私の手を掴んでるのよ」

しっかりと掴まれた右腕。
振り払おうにも、舜の力の方が強くてどうにもならない。
半ば引きずられているような状況は全くの不本意で、堪らなく不愉快だ。

「なに、迷子になられると困るのでな」

「はぁ? 私のこと、何歳だと思ってるのよ」

この時になって、舜は真幸に視線を寄越した。

「そなたも悠も、余にとっては赤子も同然じゃ」

「…………アンタって、もしかしてとてつもなくジジイなワケ?」

その質問に、舜は鼻で笑うだけだった。

階段が終わった。
辺りを見回してみると、そこは古い日本風の家屋というのか、屋敷というのか。
高欄に格子、釣灯籠と、平安時代さながらの情景が広がっていた。

「……ここ、何処なの?」

絶句しかけ、それでも何とか言葉を紡ぐ。

「余の宮じゃ。今は時が惜しい故、案内してはやれぬ」

「それはいいから手ぇ離してよ!! 痛いの!!」

相変わらず引っ張られたままで、ゆっくり周囲を眺める暇も無い。
おまけに舜は歩くのが早くて、ついて行くのがやっとだ。

「それは済まぬな」

謝られた。
と思ったら、真幸の意思とは関係なく視界が持ち上がる。

「っ!! 何すんのよっ!?」

「時間が無いと言ったであろう。そなたは歩くのが遅い」

気付くと舜に抱えられていた。
しかも、まるで荷物の様に肩の上に。
引きずられる以上に屈辱的だ。

「冗談じゃない!! 下ろしなさいよ!!」

舜の肩の上でもがく真幸の様子を、渡殿の向こうから女官達が奇異な表情で見つめていた。
一段低い庭では、武官風の男たちが驚いた表情でこちらを見上げている。

「暴れるでない。下に落ちるぞ」

「それは駄目!!」

「ならば我慢せい」

舜の長い黒髪が頬に当たり、くすぐったい。
上品に焚き染めた香が薄く薫った。

結局、そのままの状態で宮の一室に連れて行かれた。
一室というのは正しくないかもしれない。
房というのか、間というのか。
襖障子と壁代に囲まれた空間で、ようやく真幸は舜の肩から下ろされる。

舜に振り回されるだけの今の状況が、とてつもなく悔しい。
けれど右も左もわからぬこの場所では、我慢しているしかない。
部屋の奥の寝台に、真幸は座らされた。

「娘、これからそなたに悠より預かりし物を返して進ぜる」

舜の言葉尻を真幸はとらえた。

「何それ。悠斗から預かったなら、悠斗に返せばいいじゃない。なんで私に返すのよ」

相変わらずの反抗的な真幸の態度にも、舜は怯む様子など無い。
それどころか、舜はそんな真幸の様子を楽しんでいる節すら見受けられる。

「それはの、その物というのが、悠がそなたから取り出し、余に預けたものだからよ。それを今からそなたに返す」

「取り出したって……一体何時の話よ」

疑問は尽きない。

舜は部屋の片隅の二階棚から、朱塗りの文箱を手に取った。
そのまま真幸の元まで持って来て、ゆっくりとした動作でその蓋を開ける。
箱の中には白い布で何重にも包まれた、ビー玉大のものが入っていた。

「これが、そなたの記憶を封じた玉じゃ」

そう言って舜が差し出したのは、まるで血を固めたような赤い赤い石だった。
が、玉という程、丸い形をしていない。
それどころか、いびつな球形ですらなかった。
それを形容するならば、まず歪んだ球を半分に割り、それから所々にヒビを入れたようなモノ。

自分の記憶がこんなにもボロボロの、それこそ道端の小石以下なのか。
真幸は一瞬自己嫌悪で意識を飛ばしそうになった。

「これこそ悠が余に預けし物の半分、そなたの記憶じゃ。そう嘆くでない。そなたが取り戻した記憶の分だけ、徐々に欠けてゆくのだ」

「……別に嘆いてなんかないって」

舜の手に載った石を取ろうと真幸は手を伸ばすが、指先が届く前にさっと舜は腕ごと引いた。
瞬間、真幸の眉間にシワが寄る。

「何よ、返してくれるんじゃなかったの?」

「残りの半分がある」

そう言って、舜はもう一方の手に半球形の石を取り上げた。
先程と同じ、血のように赤い石。
けれどこちらには傷一つ見当たらず、表面は滑らかに磨かれているようだった。

「そなたに返すのは、こちらが先じゃ」

「何なの?」

「そなたの、力」

石は突然浮き上がり、真幸に向かって滑空した。

(ぶつかる!)

思わず、ほとんど反射的に目を閉じた。

とん、と。
額に軽い衝撃があった。
上体が数センチ後ろに下がる。
ただそれだけ。

額に張り付いたわけではないだろうが。
気になって、右手の中指で額の中央の衝撃を感じた部分に触れてみる。
何も変わりは無い。

「焦らずとも、すぐにわかる」

何を?

その問い掛けの前、先に口元から零れたのは鮮やかな紅。
口中に苦い鉄の味が広がった。
両手で口を覆うが、指の間からポタポタと床に滴り落ちる。
喉の奥、焼けるように痛い。
爪を立てて掻きむしりたい衝動を、真幸は必死に押さえ込んだ。

「強大な力を受け入れた反作用じゃ。我慢せい」

舜の言葉が遠く聞こえる。
自分が意識を失いかけているのがわかった。
妙な、感覚だった。




「ここ、何処よ」

本日二度目の真幸の言葉は、無駄に広い空間で意味も無く響き渡った。
暗い空間なのに周囲の状況がはっきりと見える。
何も無い。
光源も見当たらないが、まさか自分の身体が光っているのだろうか。

一体どうしたものかと、腰に手を当てて考えてみる。
この空間の空気には覚えがあった。
舜に試されていた時の、あの白い夢の空間と同じ。
けれど、今回は舜の気配は感じられない。
耳を澄ませてみても、届く音は何一つ無かった。

ふと、自分の足元に目を落としてみた。
思わず息を飲んで、一歩退く。
それに合わせて、床は水面に波紋が進む様にゆらめいた。
ゆらめきの奥に見えるモノ。
白であったり黒であったり、血に染まった朱であったり。
様々な彩りの、されこうべ。
骨の身体には鮮やかな絹の衣を纏っている。
その誰もが、額や頭頂部に一本ないしは二本の角を持っていた。

「……お墓?」

真幸の気配に気付いてか、彼らはゆっくりと動き出した。
積年の眠り、呪いから解放されたかのように、骨だけの腕で身体を引きずって真幸の方へと擦り寄ってくる。

ずず、ず……

彼らの立てる音は、耳ではなく脳に直接響いてくる。
窪んだ眼窩からはどんな表情も読み取れず、ただただ不気味なだけだ。

『……来た』

『……来た』

口々に、歯と歯を鳴らしながら。

『……白き者』

硝子のように透き通った床から、彼らの腕が伸びてくる。
次から次へと、植物が芽を出すように。
それらは真幸の身長を越え、上から下から真幸に絡み付いてきた。

「なっ、何……っ!!」

骨だった、既に別物と化した腕で手足を縛り上げられる。
どれだけもがいても、力だけで振りほどけるようなものではなかった。
何者かもわからないそれらに対抗する為、真幸は呪を紡ごうと息を吸いこんだ。

『……白き者』

ひゅんっ……

鞭の様にしなり、腕の一本が真幸の首に巻きついた。
べちゃり、とした触感。
冷たいのかと思えば、人と変わりない温もりがあり、それもまた気色の悪いものだった。

『……光を生む者』

「う、ぐ……っ!!」

息が詰まる。
喉の奥がぽっかり空いたようで、ただ苦しい。
空気を求めて、引き剥がそうと首を締め付けるソレに掴みかかった。

『……我らに従え』

『……我らに従え』

「嫌よっ!!」

最後の息で、真幸は叫んだ。

『……なれば、従おう』

不可解な彼らの言葉の後、視界が光で溢れた。




「ふむ、奴らに認められおった……。まこと稀有な存在。人として世に出たのが不思議なものよ」

宙に浮いた白い玉を見て、舜は一人呟いた。
その白い玉は、寝台に横たわった真幸の上をふわふわと漂った後、ゆっくりと真幸の身体に吸い込まれていった。
掛けられた藍色の衣の下で、真幸の胸は規則正しく上下している。

「悠より先に名を継いだか……。さて、どうしたものか」

そう言う舜の表情は、どこか穏やかだった。



+ + + + +



意識を取り戻した時、周囲には誰も居なかった。
寝すぎた時のように身体が重く、だるい。
これも「力」とやらを受け入れた反動なのだろうか。

起き上がると、布が滑り落ちる。
良く見ると舜が身に纏っていた衣だった。
一瞬、真幸の顔に嫌そうな表情が浮かぶが、肌寒かったので有り難く借りることにした。
肩から羽織ると裾が長くて引きずってしまうが、適当にたくし上げて真幸はそのまま外に出た。
所々に灯りはあるものの、薄暗い。
一体何時なのかと思うが、時計などあるわけも無い。
人影を求めて、真幸は屋敷の中を歩き出した。

最近、自分の身に起こること。
それらの多くが不可解で、自分の意志とは無関係に事が進んでいるようで。
その中心には悠斗が居る。
とてつもなく不愉快で、歯がゆい。
今の自分に何ができるのか、何をしなければならないのか。
教えてくれるなら、誰でもいい、教えてもらいたい。

「あ……」

無意識に握り締めた手。
何故か右手だけが温かい。
熱を持っているようだった。

一度結んで、そして開く。
何度も動かしてみた。
やはり、温かい。
この温もりは、真幸の記憶の中に微かだがあるような気がした。

「……悠斗?」

左手で右の手首を包み込んで、そっとさすってみた。
覚えてはいない。
けれど、この感覚は知っている。
誰かに教えられたとか、そういった類のモノではなくて、昔から身体に刻み込まれている、そんな温かさだった。

自然と表情が緩んだのが自分でもわかって、真幸は慌てて口元を引き締めた。
こんな所にまで来て、それでも悠斗に守られている。
そう考えると無性に腹が立ったが、それでいて、あまり不快ではないのが不思議だった。




その時、ランスは二ヶ月に一度の本当の食事の為に協会本部を訪れていた。
ビルの十五階、医務室で赤い液体が注がれたグラスを片手に取ったところだった。
それに口を付ける寸前、携帯電話が鳴り出す。
仕方ないので一度グラスを傍らの机に置いて、それから電話に出る。

「もしもし?」

『ランス先輩っ、どうしよう、晃がっ……!!』

聞こえてきたのは唯の悲痛な声だった。
余程混乱しているのか、ほとんど涙声と同じだ。

「ユイちゃん!? ちょっと落ち着いて。アキラに何かあったの?」

『わかんなっ……でも晃が、晃、連れて行かれちゃう……どうしよ、私……!!』

「連れて行かれる……ユイちゃん、今、何処!?」

しゃくりあげる唯から、どうにか簡単に晃の状況と運ばれた病院の場所を聞き出す。

晃に憑いているモノ、どうやら唯の手に余るモノらしい。
そして、おそらくランス自身にも手に負えないレベルだ。

「ユイちゃん、サキには連絡つかないの?」

『全然……八嶋先生も、携帯繋がらないし……』

「いいかい。ユイちゃんはそのままアキラの側に居て、アキラを捕まえておくんだ。僕はサキを探してそっちに行くから……」

『先輩……お願い、早く来てくださいっ』

このまま電話を切るのは心苦しかったが、致し方あるまい。
今、晃の一番近くに居て、何か出来るとすれば唯の他に居ないのだから。
気休めにしかならないかもしれない言葉を述べてから、ランスは電話を切った。

「何かありましたか?」

こちらの様子を窺いについたての向こう側から白衣の女医が出てくるが、今はそれを相手にしている暇は無かった。
グラスの中味を味わう間も無く喉に流し込む。
空いたグラスを女医に手渡し、礼を言ってから医務室を出た。

病院に居れば、晃の身体を生かすことは出来る。
けれど今、晃を助けられるのは医者ではない。
医者に代わりその仕事をするのは、真幸か悠斗だ。

「サキを探し出し、このことを伝えて……。行け」

放たれたランスの使い魔は、新宿の暗い空に飛び立った。