05.雨


昼を過ぎた頃から降り始めた雨は止むことを知らず。
窓の外の薄暗い景色をぼんやりと見つめていると、目の前を相合傘の会社員らしき一組の男女が通り過ぎていった。
それを見て、真幸はお天気キャスターのお姉さんの言う通りに、自分も相棒もカサを持ってきていて良かったと心底思った。

相合傘なんて、冗談じゃない。

「にしても良く降るね、この雨」

コーヒーを飲みながら同じように外を眺めていたランスが、暇を持て余したように声をかけてきた。

「ほんとねー……」

雨の日は、なんとなく気力が沸かない。

「やる気無いね、サキ」

「……その呼び方ヤメてよ」

「なんで?」

「好きじゃないから」

何度止めろと言っても、ランスは真幸のことを「サキ」と呼ぶ。
晃のことは普通に「アキラ」と呼ぶくせに、だ。
何故だと聞いても「特に理由は無いが呼びやすい」としか答えない。

真幸は溜息を一つ、小さくついた。
溜息の数が最近になって増えたような気がするのは、はたして気のせいだろうか。

(いや、絶対に増えたって)

今年になって晃や唯が入学してきて、ランスが仲間に加わって、それから確実に真幸の生活は変わった。
彼らに侵食されてると言っても過言ではない。
けれど。

(まぁ、別にいいんだけどー)

以前よりは、ほんの少しだけ学校が楽しいと思えるから。
けれどそれを他人に知られること、特に悠斗に知られることは真幸のプライドが許さない。
だからそんな素振りはおくびにも出さないが。

「こういうの、時雨って言うの?」

腕時計を覗きながらランスが問う。

「時雨は秋の終わりから冬の始めに降る雨のコト。まだ九月だし、普通に秋雨でいいんじゃない?」

言いながら口をつけたアイスコーヒーは、氷が溶けかかっていて若干薄かった。
文句を言わずにそれを飲み干し、真幸は傘と荷物を持って立ち上がった。

雨が降っているせいか、外の空気は肌寒いくらいだった。
そうでなくても秋は朝夕に冷え込むことが多い。
体調を崩しやすい時期でもある。
そうは言っても身体が資本のこの職業は、体調管理も仕事の内。
当然、真幸も自分の体調には気を配っている。
食事も朝を抜くこと無く三食摂るし、就寝時間が遅くなるのは仕事の性質上仕方の無いことだが、それでも睡眠時間はきっちりと確保している。
それが授業中だということは致し方あるまい。

「そういえば、ランスに聞こうと思ってたことがあるんだけど」

真幸の緑の傘と、ランスのこげ茶の傘が並んで進む。

「ヴァンパイアは流れ水を渡れないって伝承があるじゃない?あれって実の所どうなの?」

ふと気付くとランスは自然に車道側を歩いている。
さすがは年の功だ。
比較すること自体間違っているが、晃では絶対に無理だ。

「うーん、ある程度のレベルの奴なら平気で渡れると思うよ。僕は半分人間の血が流れてるせいでもあるけど」

雨脚が強まってきた。
風がある為、足に雨粒が当たって気持ち悪い。

「ふぅん。やっぱ、ただの言い伝えなんだ」

「話の出所がわからないよね。だからこそ伝承なんだろうけど」

雨のオフィス街。
会社から帰るスーツ姿の人々の中で、制服の真幸とランスは否応なしに目立つ存在だが、皆、傘を差して俯きがちに歩いているからか、それほどまでに悪目立ちはしていないようだ。

「でもまぁ、雨が降るとバイオリズムが低下するのは事実だよ。何でだかわからないけど。個体差があるから雨でも全然平気って奴もいるし、逆に起き上がることすらままならない奴も中には居たなぁ」

雨が降ってスローペースになるのは人もヴァンパイアも同じか。
妙に納得し、真幸はランスの話を黙って聞きながら目的地に向かって黙々と足を動かしつづけた。




辿り着いた所は、大きなビルの地下駐車場だった。
普段なら何台も車が停まっているであろう場所は、今日に限ってはその影も形も無い。
「仕事をするのに邪魔だ」という理由で、事前に協会を通じて依頼主である会社側に申し入れておいたのだ。
意図することはきちんと伝わったようで、このビルに勤務している人間は、今日は残業無しで強制的に退社させられている。
まだ夕方6時前だが、このビルだけが閑散として人気が無いのはそのせいだ。

「さて、どうしたもんか……」

穴、穴、穴、障気の吹き溜まり、霊道、小鬼、鬼、低級悪魔、地縛霊。
真幸は腰に手を当てたまま、思わず唸った。
予想していなかった状況に、というより、激しく予想以上な状況に。

真幸達のような協会所属の能力者が仕事を依頼される場合、まず協会側から事件のあらましを記した資料を渡される。
急でない仕事は求人広告のように協会の掲示板に張り出されていたりもするが。
それらの内容を見て、正式に依頼を引き受けるかどうか決定する。
詳しいことは現場に行くまで判らないから、渡された資料と現場の状況が食い違ったり、協会側が決めた危険度予測が外れることは大いにある。
何が起こっても状況に即した判断を下すことが出来て、初めて一人前・一流の能力者と言える。

「って言っても、ここまで違うとなぁ」

「当初の予定ではタチの悪い地縛霊と霊道の処理だけだったもんね」

性質上、ランスは通常の除霊作業に向いていない。
だから普段の真幸とランスは、いわゆる「化物退治」をやっている。
悪魔だとか妖怪だとか、一般に伝説の中の存在と思われているモノたちは、人知れず大都会の闇に息づいていて。
それを体現しているのが、他ならぬランス当人だったりするわけだが。

それが何故、普通の心霊事件を担当することになったのかというと、「物は経験」というやつだ。
ランスには軽い仕事から慣れてもらい、この「軽い」というのはあくまで真幸の判断だが、いざと言う時にも対応できるようになってもらおうと言う心算だ。
否、心算だった。

「まぁ、結局いつもと似たようなコトすれば良いだけなんだけど。ランス、とりあえずいつものお願い」

周囲の状況を把握しつつ、真幸はランスに指示を出す。
ランスはそれに応じて即座に術を組み立てる。

「OK……Ready,<Invisible Screen>&<Crystalline Maze>Unfolded」

ランスが発動させた術は「目隠し」と「迷路」の効果を持つ。
なるべく一般人にその活動を知られないように、というのが協会の規則であり、仕事の時は結界を張ったり人払いをしたり深夜を選んで動くのが基本ルールだ。

「この様子だと地下だけじゃなくて上もヤバいかもね。どこから片付ける?」

「とりあえず、ここに封印結界張ってから私が穴を閉じるから、ランスは上からこっちに悪霊とか追い込んで」

そう言いながら、鞄の中から数枚の神符と針を取り出す。

「数が多いだけでそんなにヤバい奴は居ないと思うけど、とりあえず気をつけなさいよ」

「……OK」

「結界張ったりするのに時間かかるから、そうね、十分後に始めて」

ランスは右手を挙げて、了解の意を示した。
それに真幸が頷く。
薄暗い駐車場で、ランスの眼が「赤く」光った。

ランスの姿が黒い霧となって消えるのを確認してから、真幸は手の中の神符を空に放った。
神符は輝きながら真幸の周りに浮いている。

汝を統べる者、その真名、貫け

針が手から浮き上がった。
針の長さは三十センチメートル程。
表面には細かい文字が彫り込んである。
光の軌跡を残して針は神符の中央を貫き、そのまま四方の地面に符を打ちつけた。

(もぅ、面倒臭いなぁ……)

段々と高まっていく「場」の気配に、真幸は溜息を一つ。
全く想像していなかった為、今日は鬼や悪魔を封じる霊具をほとんど持って来ていない。
つまり、自分の術だけでどうにかしなければならない。

(数も多いしさぁ)

今日は雨だから調子が出ない。
が、そんなことばかりも言っていられない。

絡まり縺れ、来たるは熱、斯く進め

真幸の眼に映る穴、穴、穴。
障気と陰気の噴出してくるその穴の向こう側は、いわゆる魔界。
そこに向かって糸が収束していくイメージを、真幸は頭に浮かべた。

集え

真幸の指先から糸が放たれる。
糸は絡まりあい、まるでクモが巣を作るように穴の一つ一つを塞いでいった。



+ + + + +



真幸の周囲に、徐々に低級霊達が集まり始めた。
上階からのランスの追い込みが上手くいっている証拠だろう。

「……こっちも始めますか」

一人でいる時にこんなことを言うのも意味が無いが、そうしないとやる気が出ない。
終始無言でいるのは、それはそれで息が詰まる。

とくと見よ、末期の一声

飛び退りつつ、掌中に現れた黒い銃を握り締め、素早く引き金を絞る。
銃口から飛び出した銃弾は途中で六つに分裂し、それぞれが別々の低級霊や小鬼に向かっていく。

「一、二、三……!!」

身体に風穴をあけた彼らは、その存在を保てず灰になって虚空へと散っていく。
その数を確認しながら、もう一発。
パチパチと周囲に静電気の嵐が巻き起こり、剥き出しの肌に痛みを感じて真幸は顔をしかめた。

「四、五、六、七」

次々と湧き出してくる鬼やら怨霊に苛立ちばかりつのる。
恨みがましい怨霊の叫びは耳について不快で仕方ない。
両手で耳を塞ぎたいところだが、戦いの最中にそんなことをしている余裕があるはずもなく。

「八、九、十、あぁもうっ、お前らウザいっ!!」

枚挙に暇が無いというのは、まさしくこの事だ。
真幸は業を煮やしたように、空の左腕を勢い良く胸の前に突き出した。

猛き刃、蒼天の響き、翔ける旋律

まるで十字架のような無数の光の矢が真幸の頭上に煌く。

落ちろ!!」

ざあっ……

光の矢は光の雨となって降り注ぐ。
それに身を貫かれたモノ達、その数は十以上。

「ざまぁみろ……」

真幸の頬を一筋の透明な汗が伝う。
一度に敵の数を減らすことに成功したが、それは思った以上に自分の霊力を消費した。

(やっぱ、具現化と一緒に大技は使うもんじゃない……)

反省しながら、次の敵に備えて銃を構えなおす。
が。
一瞬、目の前が真っ暗になった。

(信じらんないっ!!)

それは本当に刹那のことだったが、その間だけ集中が途切れた。

『Saki!! Mind your step!!』

突如、ランスの「声」が伝わってくる。
それによって真幸は自分を取り戻す。
けれど、体勢は崩れたままで。
引き金を引こうとしたが間に合わなかった。

「くっ……!!」

真幸の足元の空間にずるりと這い出したのは四脚を持った蛇のような生き物。
牙を持った口から放たれた障気は、真っ直ぐに真幸の腹部に突き刺さった。

「Are you OK!?」

「ランス、炎っ……!!」

身体を折った真幸にランスの声が、今度は肉声が届く。
その姿を見る前に、真幸はランスへの指示を飛ばした。

ランスの行動は素早い。
そして、何より術の選択が的確だった。

「<Blazing Creeper>!!」

燃え盛る炎のツルが地面から現れ、四脚の蛇を縛り上げる。
それから逃れようと暴れまわるが、ランスのツルは切れることは無かった。
それどころか、動けば動くほど一層きつく食い込んでいく。
それを見ながら、真幸は銃を持った右腕を持ち上げた。

「……滅びろ!!」

炎の中に照準が定まる。
同時に、鈍く響く頭痛。
それを振り払い、引き金を引く。

インパクト。

シャァアアァァァッ……

余人には聞こえぬ断末魔が、高く長く響き渡った。



+ + + + +



「サキ、生きてる?」

「当たり前。でも、ちょっと疲れた」

地面にへたり込んで自分に憑いた障気を祓いながら、真幸は疲れた声でランスに応じた。

「さっきの蛇、あれは何?」

「あぁ、みずちよ。水霊の」

だから炎なのか、とランスは納得したようだった。

みずちを倒した後、残った邪霊のほとんどをランスが片付けた。
本来普通に処理するはずだった地縛霊も霊道も、怨霊の塊に取り込まれてしまったのか、結局全て一緒くたに消し去ってしまうことになったが。

「にしてもさ、今日のはちょっと変だったね」

「そうね、あの穴もごく最近開いたものみたいだったし」

鈍痛は消えていたが、まだすこし頭が重い。
そんな頭で今日の報告書の内容を考えても、きれいに考えがまとまるわけが無かった。

「ま、このビルに関しては、あのみずちを処理したから大丈夫でしょ。どっか近くに小さな社でも建てれば、それで万事オッケーよ」

この半年から一年の間に、不可解な「穴」の発生件数が急激に増えている。
自然界のバランスを崩すそれらは見つけ次第に各々処理されるが、それでもその数は一向に減らない。
何かの前触れではないかと言われているが、その「何か」が何なのか、先見の能力者達にも未だわからないというのが現状だった。

(それとこの頭痛よ、ワケ判らないのは)

溜息をつきながらこめかみを押さえる。
頭痛が起こる時、一番激しく痛む場所だ。

(つーか、私にとってはこっちのが重要だし)

「サキ、大丈夫?」

「え、うん、平気」

具合が悪そうに見えたのだろう。
ランスの言葉に、真幸は慌ててこめかみを押さえていた手を離した。

「本当に?」

なおも問い掛けるランスに、真幸は手をひらひらと振りながら「大丈夫」と応じた。

ランスは基本的に女性に優しい。
仕事の上でランスと真幸は対等だが、それで真幸がランスの中の「女性」という枠から外れるわけでもない。
彼は彼なりに丁度良い距離を考え、その都度合った扱い方をしているように思えた。

「そろそろ帰ろっか。疲れたし」

自分の荷物を引き寄せて真幸は床から腰を浮かせる。

「ん、ありがと」

差し出された手に今日ばかりは大人しくつかまった。