墓碑銘


それがいつのことだったのかもう詳しく覚えていないが、おそらく僕が十七か十八の頃。

それまで居た「あそこ」を抜け出した僕は、新宿の雑踏の中で一人の男に出会った。
彼の正確な年齢は結局知らないままだが、見た感じでは三十代半ばから四十くらいだった。
しかし、話す言葉やふとした仕草は、もう少し上なのかもしれないとしばしば僕に思わせた。

彼は僕の名前を聞かなかったし、僕も自分からは名乗らなかった。
彼は僕のことを「若造」と呼んで、僕は別にそれで構わなかった。
自分の名前が嫌いだったわけではないが、ただなんとなく、自信が無かった。

彼が僕に教えてくれたのは、この世界で生きる術。
仕事の取り方から、偽造書類の入手先など多岐に渡る。
今では趣味になっている料理も、彼が包丁の握り方から教えてくれた。
けれど、人の殺し方だけは彼に会う前から知っていた。
当時、僕の両腕にジャラジャラと手錠のように付いたいたシルバーの腕輪と、それに対になっている指輪。
それが僕の人殺しの道具だと、彼は出会ってすぐに見抜いたそうだ。
彼は僕に直接何かを問いただすことはなかったが、おそらく彼なりに調べ、その上で僕を保護していたのだろう。

共に居たのは、ニ年くらいだろうか。
たしか僕が二十歳になる前に別れたのだ。
互いに上手くいかなくなったとか、そういうわけではない。
ただ、僕は色々なことに彼を巻き込みたくなかったのだ。
彼はそんなことは百も承知だった。
だから僕は彼の元を去ることを決めた。
彼と組んで仕事をするうちに、僕の名はそこそこ売れるようになっていた。
一人でもやっていけるという思い以上に、逆にそのせいで、かつて僕が居た「あそこ」から追手が来るのではないかと恐怖した。

言葉では表せないくらいに、僕は彼に感謝している。
通り名である「ドクター」というのも、僕が持つ治癒能力を知った彼が最初に呼んだものだ。
彼からはたくさんのものをもらった。
目に見えるものも、目に見えないものも。




最後に僕が彼からもらったもの、それは「約束」だ。
僕が彼から離れる時、彼は僕に言った。

「せっかくだから、お前の名前、俺に教えていけよ」

何故今更、と呟いたら、彼は煙草をくわえたまま笑い声をあげた。

「お前が死んだ時、俺はお前の墓に何て名を刻めばいい?」

今のお前は死にに行くみたいな顔してるぜ、と。

僕は何と言えばいいのかわからなかった。
僕が死を覚悟していたこと。
それを見抜いていた彼。
敵わないと思った。

「……もし僕が死んだら、お墓を作ってくれるんですか?」

「あぁ。袖振り合うも他生の縁って言うからな。その代わり、俺が先に死んだらお前が俺の墓を建ててくれよ?」

そっちの方が可能性が高そうですね、と僕が言ったら彼は「違いねぇ」と再び笑った。

彼もまた、死を身近に置いた人間だった。

「俺の墓にはタカハシ・ケイゴって入れてくれ。お前は?」




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彼は僕との約束を守れなかった。


僕は、春、桜の木の下で彼との約束を守った。