666
「つまり、666っていうのは悪魔の数字なの」
「はぁ……」
「聖書のヨハネの黙示録で語られてるんだけど、神に従わず、悪魔の化身である獣を崇拝した人々の額に刻印された数字、それが666」
レンタルビデオショップのホラー映画の棚の前で、まゆさんは丁寧に僕に説明をしてくれた。
してくれたのだが、僕は生返事を返すにとどまった。
水を差すのも悪い気がしたが、それ以前に、こんな所で延々と長話する気にはなれない。
「それで、何にするか決まったんですか?」
僕が問うと、まゆさんはピタリと口を閉じた。
「ホラーは別の機会にして、今日は別の物でも……」
「駄目。もう決めたから。これにする」
僕の提案はあっさりと流され、まゆさんは一本のビデオケースを手に取る。
中身を取り出した彼女に、僕は袖を引っ張られてカウンターまで連れて行かれた。
「本当にそれで良いんですか?」
「うん、平気」
微妙に質問とその回答がズレているが、まゆさんは慣れた様子で貸し出し手続きを済ませた。
彼女が借りたのは、オカルト・ブームの先駆けとなり、またサブリミナル手法を用いたことでも有名な、ホラー映画史に名を残す一本、『エクソシスト』
(でも、666の数字で有名なのは『オーメン』ですよね、たしか)
まゆさんに代わってビデオを受け取る。
それを片手にぶら下げ、もう一方の空いた手は彼女と繋いだ。
歩幅の小さいまゆさんに合わせて、ゆっくりと夕暮れの街を歩く。
「夕飯が済んだら、一緒に見ようね」
「ええ。ですが……」
「あ、もしかして今日って仕事の日、だった?」
夜は出かける用事があるのか、と。
僕を見上げてくる瞳に、急に不安の彩が灯る。
「いえ、今晩は暇ですよ」
というか、そんな顔をされて残していけるわけがない。
再び笑顔に戻ったまゆさんは、楽しそうに今日の献立について話し始める。
繋いだ手に、先ほどまでよりも少しだけ力が入ったのを、僕は感じた。
「普通の映画は一人でもいいけど、ホラーとか、誰か一緒じゃないと怖くって……」
ホラー映画にしようと言い出したのは彼女の方だったので、てっきり僕はホラー物が好きなのかと思っていた。
怖がりだと知っていたなら、きちんと止めたものを。
それとも、怖いもの見たさというやつだろうか。
ちなみに僕は、ホラー映画は好きでも嫌いでもない。
付け加えるなら血や内臓も苦手ではない。
もし苦手だったら……こんな仕事は続けていられない。
「友達が泊まりに来た時とかに見たりするんだけど」
「……もしかして、怖くて寝れなくなるってことですか?」
「……」
返事が無いことから察するに、つまり図星なのだろう。
そんな様子も可愛いと思ってしまうのは、僕が彼女を好きだからに他ならないのか。
「でも、今日はセイも一緒だし、大丈夫でしょ」
おそらく、まゆさんにとっては深い意味の無い言葉だったのだろう。
だけれども……
(眠るまで一緒に居て欲しいって意味に聞こえるのは、僕の気のせいですかね……)
それを口にするのは野暮というものだろう。
紳士で居られる自信は、ほとんど無いのだけれど。