飛行機雲


正午を過ぎた午後一時。
真幸は五時間目の授業開始のチャイムを一人屋上で聞いていた。
傍らにはコンビニの袋に詰め込まれた昼食の残骸。
そして飲み終わったコーヒーの空缶。

「しまったなぁ……」

昼休みのうちに、もう一本コーヒーを買って置けばよかったと後悔する。
授業が始まってから廊下をうろつくのは危険だ。
溜息を吐きながらコンクリートの壁に寄りかかる。
小春日和というのだろうか。
春はまだ遠いのに、真幸を照らす日差しは暖かく長閑だ。

青い空と、白い雲。

この天気ならば、たとえ外で昼寝をしても風邪を引くことはないだろう。
そう考え、真幸は壁にもたれかかって瞼を閉じた。

うとうとと。
もうすぐで心地良い夢に落ちるというところで、静寂が破られた。
蝶番が錆びた屋上の扉は、開け閉めする時に耳障りな音を立てる。

(隠れ……ても無駄か)

真幸は早々に諦めた。
今更、反省文の一枚や二枚、たいしたことではない。

「こら、不良生徒。授業はどうした」

聞こえたのは、嫌になるほど聞き慣れた声だった。

「……不良教師?」

半分閉じたような眼差しの真幸の隣に、悠斗は腰を下ろす。

「俺は午後の授業無いの」

「私も午後の授業は休講なの」

「自主休講だろうが、真幸の場合は」

説教臭い口調ではあるが、別に悠斗が怒っているわけではないことを真幸は知っている。
そして悠斗も真幸がそれをわかっているのを承知の上で、こうして言葉をかける。

「じゃあ、調子が悪いってことで」

「いい加減にしないと校長先生に言いつけるよ?」

「てか、もうお見通しなんじゃないの、あの人」

相当食えない爺さんだからと付け加えると、悠斗は右の口角を上げて笑う。
それは、真幸の嫌いではない表情だった。

「あのさぁ、何でわざわざ隣に座るの? 屋上広いんだから」

「別に意味は無いけどね」

「ふぅん。じゃあ、そのコーヒー頂戴」

言うやいなや、真幸は悠斗が持っていた缶に手を伸ばす。
それを予想していたか、悠斗は大人しく所有権を真幸に譲り渡した。

真幸は温かい缶を両手で包み、口を付ける。
それを見て、悠斗は煙草を取り出してその先に火を点けた。

悠斗は真幸の風下に座っていて、吐き出す紫煙は全て真幸の逆方向に流れていった。

青い空と、白い雲。
缶コーヒーと、煙草の煙。

床に置いた飲みかけの缶を、真幸に断り無く悠斗が自分の口元に運んでいく。
真幸は文句を言おうと口を開いたが、何も言わず元所有者の行動を容認した。

(てゆうか、間接キスなんですけど)

それも、今更。
なんてことない。

「……どうかした?」

「……飛行機雲、見て」

青い空と、白い雲。
缶コーヒーと、煙草の煙。
そして飛行機。

「大気中の温度が低い所を飛行機が飛ぶと出来るんだってさ」

一筋の、真っ白な飛行機雲。

「排気ガスの水蒸気が凝結して雲になるって、真幸知ってた?」

「知らなかったけど……なんか夢が無いわね」

つまらなさそうに言うと、悠斗は穏やかに笑って煙を上空に吐いた。

「夢だなんて、真幸にしては珍しいこと言うね」

空のキャンバスに描かれた人工の線を見上げた。
何処までも続いていくと信じていた白線は、途中で切れて空に溶け込んでいる。

「……たまには夢くらい見させてよ」

真幸の言葉に悠斗は目を細める。
その様子を見ずに、真幸は再び瞼を閉じた。

「枕代わりにしなよ」

その言葉に素直に従い、真幸は体重を傍らの悠斗の肩に預けた。




空に浮かんだ何処までも続く真っ白でふわふわの道を歩く夢を見る。
目覚めて、真幸はずいぶんメルヘンな夢だと一人苦笑した。

「やっぱ、調子悪い」

言葉も青天に溶けて消えた。