髪の長い女
何世紀も前から残っている古い街並。
その石畳の上を、一台のバイクが滑るように駆け抜けていく。
どんよりと曇った灰色の空からは、今にも冷たい雨粒が落ちてきそうだ。
街道から外れたこの小さな街は、中央のクーデターともゲリラ闘争とも遠い場所。
ここでは昔と変わらない日々の生活があった。
バイクの乗り手ルークは、年季の入った三階建てのホテル――この街で唯一の――前でバイクを止めた。
と、同時に、ルークの鼻先に大粒の雨が当たった。
「くそ……やっぱり降ってきたか」
バイクに荷物を括り付けている紐を、慌ててほどき始める。
大した量ではないが、手荷物は色々と細かいものが多い。
焦っているせいで幾つかが色の変わり始めた地面に転がり落ちた。
小さく舌打ちし、それら手を伸ばす。
しかし、ルークよりももっと細く華奢な手が、ルークの手が届く前にそれを拾い上げた。
「……どうぞ」
差し出された白い手。
ゆるく波打つ長い金髪は雨に濡れていて、ガラス玉のような青い瞳がルークのことを見上げていた。
「あ、ありがとう」
それ以上交わす言葉も無く、彼女の後姿は雨の中、次第に遠ざかっていった。
「いらっしゃい。お兄さん、一人かい?」
戸をくぐると、このホテルの支配人らしき年配の女性がルークに声をかけてきた。
今時珍しい古いタイプのホテルで、どちらかと言えば宿屋と呼ぶ方がしっくり来る。
ルークはカウンターに肘をつき、宿帳に名前を書き付けるべくペンを手に取った。
こんな所で嘘を吐いても意味が無いので、名前も生年月日も、さして必要無さそうな血液型まで正しく記入した。
ジャケットの胸ポケットからクレジットカードを取り出し、カウンターの中の女性に渡す。
「お兄さん、旅の人?」
「旅と言うか、首都の方で用事がありまして……一泊で」
この御時世、首都に近いこの辺りを旅する酔狂な人間は居ない。
一時期に比べ治安は良くなったが、その代わりに必要以上に軍の治安部隊の姿が目に付くようになった。
それに加え、近く皇帝の御前で完成した新型ドールのお披露目があるので、噂によると警備はいつもの三倍だそうだ。
「中央街道走っていて、何回も検問を通るの嫌でこっちの街道を来たんですけど」
「ハイ、カード返すよ。お兄さん、首都まで行くのかい。
だったら確かに中央街道を馬鹿みたいに真っ直ぐ行くより、
こっちの裏街道を通ったほうが早く着くだろうねぇ」
「ところで、さっきも見かけたんですが、この辺りはドールは多いんですか?」
親切に地図を取り出して説明しようとする女性を制し、ルークは話題を変えた。
「ドール? あんまり見ないねぇ。街外れのじいさんの所に一体居たかも……。でも、どうしてそんなことを?」
「え? あぁ、実は俺、ドールマニアなんですよ」
ルークが笑って言うと、女性は頬に手を当てて「見かけによらないもんだねぇ」と呟いた。
部屋に荷物を放り込んだ後、傘を借りたルークは雨の街へ出かけた。
目的は先程出会ったドールである。
ルークがドールマニアだというのは嘘ではない。
パッと見でドールの製作者・原型などは簡単にわかる。
さらには大まかなドールの具合、ソフトの面からハードの面までも判断可能な程だ。
それ程の「眼」を持つルークだからこそ、先程のドールには多少気にかかる点があった。
「ここか」
手に持つ手書きの地図は、ホテルの女性に書いてもらったものだ。
雨に濡れて、所々インクが滲んでいる。
ルークは傘を上げ、古いアパートを見上げた。
「こんな所に住んでて、ドールか……」
ドールは本体だけで戦車一台買ってもお釣が来る程の値がする。
さらにはメンテナンス等、維持費が馬鹿にならない。
個人で持つにはそれなり以上の財力が必要になる為、一部の貴族・富豪が所有する他、大半のドールは軍や公共施設でその姿が見られる。
ルークは傘をたたんで、玄関の郵便受けの下に置く。
部屋は全部で六つあるようだが、今から尋ねる老人とドール以外は住んでいないと聞いた。
三階建てのアパートにはエレベーターもエスカレーターも無い。
あるのは今にも板が抜けそうな階段だけで、ルークは慎重にその階段を上り始めた。
三階のメインストリートに面した部屋。
そこが彼らの住む場所。
ルークは手を伸ばして呼鈴を押す。
けれど、壊れているのか、カチカチと軽い音がするだけだった。
仕方なく直接ドアを叩く。
しばらくして顔を出したのは、ホテルの前で出会ったドールだった。
ゆるく波打つ金髪に青い瞳は初期の「Alice」シリーズの特徴でもある。
「……何か御用でしょうか」
名乗る前に、ルークは黙って一枚のIDカードを取り出す。
そして彼女にも良く見えるよう、肩の高さまで持ち上げた。
「特級電脳技師のルーク・J・ハワードだ。君は……“オートマタ”だね。
製造年度と型番、それに最終アップデートは?」
「……」
質問に対する答えは返ってこなかった。
隠すことも無く、ルークは嘆息する。
「やっぱり旧型はメモリの損傷が激しいな。緊急のメンテナンスが必要だ。君の所有者は?」
旧型の“オートマタ”を「Alice」と似た姿形にカスタマイズすることは、一時期流行って行われた。
高額で手の届かない「Alice」よりも安価に手に入る模造品で、
出来不出来に差はあるものの、いずれも「Alice」とは性能面で圧倒的に開きがあることに変わりは無かったが。
「……私は正常です」
「わかってるよ。君の持ち主は中?」
「……私は正常です」
うわ言の様に呟く彼女の横を通り、ルークは部屋の中に踏み込んだ。
玄関のコート掛けに薄汚れた上着が掛かったままの様子からすると、おそらく持ち主は中に居るのだろう。
短い廊下の先はキッチンとダイニングで、さらにもう一つドアがあった。
「すみません、こちらにいらっしゃいますか?」
寝室と思しき部屋の扉を叩く。
二度、三度同じ動作を繰り返すが、中から彼女の持ち主が姿を現すことは無かった。
「開けさせてもらいますよ。貴方の所有する“オートマタ”のことでお話が」
窓際に、椅子に座った人影が見えたので、ルークはそちらに足を向けた。
「条例で全ての“オートマタ”に年一度の定期検診が義務付けられているのはご存知です、ね……」
何時の間にか、金髪のドールはルークの後ろに立っていた。
そして同じ言葉を繰り返す。
「……私は正常です」
「まさか……」
椅子に深く腰掛けているのは、かつて彼女の所有者であったモノ。
ルークは短い黙祷を捧げ、胸の前で十字を切った。
「……マスターは正常ではありません」
どこまでも冷静な彼女の言葉。
「死」の概念まで忘れてしまった悲しい人形のシステムを、ルークは静かに落とす。
かつての持ち主と共に、金髪の人形は眠りについた。
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さかのぼること十年。
弱冠二十二歳のクロード・天河は、Aliceと呼ばれる自律思考型ヒューマノイドを世に送り出した。
後に軍の協力によって量産化に成功。
これまでに第一世代「Alice」、第二世代「マリオネット」、
そして先日正式にロールアウトした第三世代「エンジェル」の三タイプが天河の手によって開発されている。
“ドール”と言うと人型ロボットの総称でもあるが、正確にはクロード・天河博士の「作品」だけを示す言葉であった。
「Alice」の登場以降、それまで一般的であったAIロボットは
“ドール”と区別する意味も込めて“オートマタ”とその名称を変えることになる。