鍵穴


心霊対策委員会の溜まり場、第二進路指導室。

午後の授業が始まっている時間帯で、部屋の外は静かである。
パイプ椅子のきしむ音とページをめくる音が耳に届く。
時折、珈琲の入ったマグカップを上げ下げする時に硬い音がする。
つまり真幸は、昼休みが終わっても自教室に戻っていなかった。

「……サキ、何やってるの?」

「アンタと同じ自主休講」

「僕のはサキの癖が移ったんだと思うよ」

「それは心外ね」

静かに室内に滑り込んでくるランス。
何故か自分と同じ行動をしているランスに、真幸は溜息をくれてやった。
自分の行動があまり褒められたモノでないことを自覚している真幸としては複雑な心持ちである。

「……何するの?」

「昼寝。やっぱり、真昼はダルい」

「静かにしてね」

「了解」

イビキをかくなと釘を刺せば、それをアッサリと了承する。
パイプ椅子を窓際まで運び、ランスは部屋の角、カーテンに埋もれるように壁に頭を預ける。
そして、先程までと変わらない静かな空間に戻った。

細く開けた窓からは、風に乗って体育中の生徒達の声が聞こえてくる。
身を乗り出してうかがうと、それはどうやらランスのクラスのようであった。
成程、と真幸は思う。
悪性の貧血持ちということになっている彼は、体育の授業にはほとんど参加できない。
代わりに見学レポートを提出しなければならないはずなのだが。

(面倒臭いしねぇ、アレ……)

上手いコトやって、単位の調整さえ誤らなければ問題ない。
そのような遣り繰りも、彼はおそらく上手い。
そうして、真幸は手元の本に視線を戻す。



「何か」が感覚を刺激する。

眠っていたのは二、三十分だったろうか。
そんな短い時間の中では夢を見ることもなく、ランスは薄く目を開けた。
視界に入ったのは、立ち上がって右手で左手首の辺りを押さえている真幸の姿。

空気中に微かに漂うのは、ランスの好む甘い甘い赤い匂い。
それは、まごうことなく彼女の手元から薫ってきていて。

「……サキ、どうしたの?」

「あぁ、手ぇ切っただけよ」

「大丈夫……?」

「あんまり深くないけど血が……何よ」

真幸のことをあまりに凝視しているのがバレた。

「その、まさか、『欲しい』の?」

「あー……ゴメン」

「まぁ、それはアンタの生物的習性だから仕方ないけど」

言った真幸は、右手でランスのことを手招く。
それに浮かされるようにランスは立ち上がった。
これでは、人と吸血鬼としての立場は全く逆なのだが。

「カップか何か……紙コップで良いか」

「……こっちのが早い」

赤い液体を容れる器を探す彼女を尻目に、その左手を取る。
親指の付け根辺りに、2センチ程の真っ直ぐな切り傷。
次の瞬間、真幸の声にならない悲鳴が響いた。
授業終了のチャイムに紛れて、さして目立たなかったが。

ランスは手っ取り早く血液を頂く為、傷口に直接 「 口 付 け た 」 だけ。
手の平に滲んだ血を、丁寧に舌で絡め取っていく。

その突然の行為に真幸は身動きできず、空気を求める金魚の如く口をパクパクさせている。

「……栄養補給完了」

「あ、アン……タ……寝惚けてる……?」

「…………そんなこと……ない……と思――っ!!」

身体中に栄養が行き届いたせいか、段々とクリアになっていく視界と思考。
目の前にいるのは、引きつった表情の真幸。

パッと、慌ててその手を解放する。
真幸は暫くの間、同じ姿勢で固まったままであった。



■□■□■



「……………………………………申し訳ありません」

土下座をせんばかりに身を低くして謝るランス。

「……………………………………驚いただけだけど、ね」

ギクシャクとロボットじみた動きでランスに背を向け、真幸は傷口に絆創膏を貼っている。

「…………………でも、月の無い夜は背中に気を付けた方が良いわよ」

「…………………は?」

「壁に耳あり、障子に目あり」




――じゃあ、鍵穴には?


風も無いのに、ランスは寒気を感じた……ような気がした。