02.秘めごと


真幸は夢を見ていた。

(珍しい……)

その行為自体は毎日のように繰り返されることで、他の多くの能力者がそうであるように、真幸もまた稀に未来を予見することもある。
どんな人間にも微かに備わっているその能力は、それ専門の能力者に比べれば弱いものであっても、一般人よりは遥かに的中率は高い。
まあ、今日の場合はそういった類のものではなかったが。

そして真幸が問題にしているのは夢の内容ではなく。

「まだ五時じゃない」

普段なら絶対に目覚めることのない時間帯だった。
もう一眠りしようと思ってベッドにもぐりこんでみても、何故か目が冴えてとても眠れそうに無い。

こんな日は何か起きる。

経験則か、能力者としての直感か。
真幸はベッドから抜け出して、パジャマを脱ぎ捨てた。
クローゼットから制服を取り出そうとして、ふと手を止める。
今日は日曜日だった。

なんともったいないことか。
貴重な睡眠時間を棒に振った。

そんなことを感じ、真幸は溜息を交えつつバスルームに向う。
ほどなくしてシャワーの水音が響き始めた。




同じ日、悠斗もまた夢を見た。

と言ってもこちらの起床は早朝ではなく、同じ日でもほとんど昼を回った時間帯だった。
寝癖のついた頭を掻きながら玄関に向かい、新聞受けから朝刊を引っこ抜く。
そしてリビングにUターンすると、そのまま壁際に寄せたソファの真ん中に腰を下ろした。

「世の中、平和だねぇ」

片手で新聞を繰りながらもう片方の手で煙草の箱を引き寄せ、そこから一本取り出して火を点ける。
開いた紙面にはさしたる大事件は載っていなかった。
天井に向かって煙を吐き出して、新聞は傍らに放り出す。
今日一日何をして過ごそうかと考え、生徒達の課題プリントの答え合わせをしなければならないことを思い出す。

「メンドくさ……」

そうは言っても、課題を出したのは悠斗自身なのだから仕方ない。
やれやれと腰を上げて、コーヒー用の湯を沸かすために台所に立った。
ついでに朝食、いや昼食の準備も考える。

と、寝室の方から軽快なメロディが流れてくる。
携帯のメール着信の音楽だ。
銀色のケトルを火にかけてから、悠斗は寝室へと回れ右した。
手に取った携帯のディスプレイには「神城真幸」の文字。

「……今日は何の用事ですかね」

宿題を教えろ、といった内容でないことは確かだ。
彼女は頭の良い方々に色々と貸しがある。
いくら教師で一番近くに住んでいても、勉強のことで自分に頼ってくることはまず無い。
それを平和だと思うか淋しいと思うかは悠斗次第だが。
そしてこういったタイミングだともっとプライベートな事、それもやっかいな事を頼まれることの方が多い。
それを嬉しいと思うか悲しいと思うかは、これまた悠斗次第。

『まだ寝てるんじゃないでしょうね?もしそうだったら呪い送りつけるからね。今日は午後から仕事に出るんで夜迎えに来て。終わったら電話するから。じゃ、ヨロシク』

そう、これくらいの頼み事は日常茶飯事レベル。
かわいいモノだ。

「はいはい、わかったよ」

誰にでもなく、強いて言えばこのメールを送りつけてきた相手に向かって呟く。
独り言が多いのは一人暮しが長いからだろうか。

(そんなわけないって)

話し相手なら、何時でも何処にでも存在する。
他の人々が彼らを認識出来るかは別問題だとしても。



+ + + + +



ぐったりとした様子で少女は少年の腕の中に居た。
力を使い果たしたのか微かにも動く気配は無く、薄く開いた目には何も映していないのか生気が無かった。
そんな少女の頬に少年は手の平を当てる。
冷たい。

何時の間にか少年の傍らには二つの影があった。
一方は深い青色の狩衣をまとい、太刀を腰にさした武官風の男。
もう一方は小袿姿の女で、手には衵扇を持っている。
双方、その頭には緋色の角が三本あった。

「……刹、烈、始めよう」

『主の御言のままに。ですが……』

表情を曇らせる女、烈に向かって少年はどこか悲しげに微笑んだ。

「この子は、そんなに弱くないよ」

そう言って真剣な眼差しで少年は祝詞を紡ぎ始める。
さらに左右から二つの音色が溶け合う。
時に高く、時に低く響く彼らの言葉は人の解するどんな言語とも異なっていた。

段々と高まっていく「場」に呼応するかのように少女に熱が戻ってくる。
それと同時に少年の額には汗の珠がいくつも浮き上がっていった。

「大丈夫だよ。君のことは僕が守るから」

人差し指を噛み切る。
そこから溢れた赤い血で少年は少女の額に何事かを書き付けた。
その文字はスクリーンに映したように空に浮かび上がり、くるくると渦を描いてから血玉となって少年の手の中に収まった。

「……時が満ちるまで、封印の鍵は鬼王に預けよう。刹、頼んだよ」

『御意』

少年の手から血玉を恭しく受け取ると、刹は烈と共に姿を消した。
その場に残されたのは少年と、その腕の中の年端もいかぬ少女だけ。

「……君の運命を勝手に決めてしまったこと。君は怒るかな」

答えは沈黙。
そして穏やかな寝息だった。

「ごめんね、真幸……」



+ + + + +



どうやら彼女は浅い眠りの中で夢を見ていたらしい。
助手席で目を覚ました真幸を見て、悠斗はハンドルを握りながら思った。
パチパチと目を瞬かせた真幸は左手であごのラインをなぞっていた。
ぼんやりとしながら取留めの無い何かを考えている時のクセ。
その視線は前方の闇の中にのみ注がれている。

悠斗の運転する車で真幸が転寝をするのは珍しい。
自分の運転が荒いからだとは思いたくないが。
時刻は十時ごろ。
それ程遅い時間帯ではないが、よほど疲れていたのだろうか。

しばらくして。

「ねぇ、悠斗。私に隠し事あるでしょ」

それはもう、星の数ほど。
大きな事から小さな事まで、数え上げれば切りが無い。

「……あるよ」

悠斗の短い答えに、真幸は再び何かを考え込んでから口を開いた。

「変な事聞いて、ごめん」

前だけを見つめているその横顔。
何故だか真幸は自分の方を見ようとはせず。

そんな彼女の横顔を、悠斗はふと美しいと思った。